一度目を覚ましたらもう戻れない

一度目を覚ましたらもう戻れない

最後の更新: 16 2月, 2018

私たちの肌を開くのではなく、目を開くような傷が存在します。 私たちの目が一度開かれたら、失われた幸福の断片をかき集め、自分の尊厳を再び取り戻そうとすること以外の選択肢はありません。 わたしたちは、頭を上げ、未来をしっかりと見て、不可能だと言い訳せず、後ろを振り返ることなく、前進し続けるために必要な自尊心を見つける必要があります。

痛みを伴うような辛い出来事が警告も麻酔もなしに起こった時、状況を正確に認識することができるとは限りません。 時には、少しずつそんな出来事が積み重なって大きな気づきになることがあります。まるで、断片的、しかし継続的に起きる噂が積み重なって、私たちが最初から疑っていたことが正しかったと気付かせるようです。

「真実は忍耐強く、壊れません。 真実はいつも水のような嘘の上を歩くのです。」

– ミゲル・デ・セルバンテス –

より精神的な観点から言えば、「第3の目」というのが良い例えでしょう。これは今私たちが話していることととても関係のある、面白いコンセプトです。仏教とヒンズー教では、私たちの意識はこの第三の「目」にあると言います。その目とは個人の目覚めを体験するのに役立つ直感を表します。私たちがある状況から逃げるのを助けてくれたり、特定のことを知ることができる新しい状態を作り出してくれるものです。

理解しているのに見て見ぬふりをする、ということはおそらく私たちが持っている最大の問題点かもしれません。最終的に私たちは不満を覚えるまで、私たちの日々のルーチンをこなすことも時にはあるでしょう。また、 私たちがすべてのものを捧げて、結果的に手にするのは不幸だけ、というような交際関係に巻き込まれることもよくあることでしょう。

これらの現実に目を向けることは、私たちの単なる意識的な目覚めではなく、個人的責任が伴う行為です。

第三の目

直視しなかった現実に目を当てる

私たちの感覚は、単に外界のイメージを全体として捕らえているということを提唱したのはアリストテレスでした。 この意味でいうと、私たちは自分の中に明確な意思がある場合のみ、真実を直視するということです。それは、周りのものと私たちの心が真に繋がり、私たちに何が起きているのか理解することができることを意味します。

これを達成することは簡単ではありません。 それには、明確な意図、直感、批判的な心、そしてそれ以上に現状をそのまま見る勇気が必要です。 私たちの多くが目隠しされた生活を送っていると言うと、むしろ憂鬱に聞こえるかもしれません。 しかし、人々が不安、疲れ、悪い気分、そしてすべての活力を失う無関心の原因を見つけるためにセラピストを訪れると、通常これらに関連した発見をするのです。

その中の1つは、実際に存在するものを見ることに対する私たちの抵抗感です。 「私のパートナーは私を愛しています。時々彼がわたしにひどい扱いをすることもあるけれど、何か力を合わせて行うとき、彼はまたわたしを愛している素敵な人に戻るの」や、 「私は、彼女のことを私の両親が気に入らなかったので関係を終わらさなければいけませんでした。だって両親はいつもわたしにとって何が一番いい選択化を知っているから・・・」と言った例です。

縄で目隠しした男性

自分の本当の姿を見たくない、真実に直面する恐怖、孤独への恐怖、反応にどうしたらいいか困る、など様々な理由から状況をありのままに見ることを恐れています。 この心理的な抵抗は、まるで私たちの幸福を追い払う防御メカニズムとして働くフェンスのような、精神的な障害です。

私たちは、幸福が私たちの行動の結果もたらされることを忘れてはいけません。 私たちが最終的に現実に目を向けた時が、真に目を開けるときです。そしてもう後ろに戻ることはありません。今が行動する時です。

あなたの目を開く方法を学ぶ

真実に目を向ける方法を学ぶためのシンプルで実用的、そして便利な方法は、私たちの心を休ませることです。 これは少し奇妙に思えるかもしれませんが、静かにしたり、音を消したりして、私たちの心を休めることではありません。仏教徒が話す「第3の目」をどうにかして使えるようにすることは、シンプルに行動を減速することなのです。

「本当に重要なことはいつも目に見えない」

– 星の王子さま(アントン・サン・テグジュペリ)

以下がその手順です:

あなたの感覚が反応する可能性のある刺激(音、匂い、あらゆる種類の冷たさや圧迫感)がない、安らかな場所を探してください

・私たちが心を静めようとすると、今まで私たちが言ったことや他の人が私たちに言ったことなど、邪魔になる不快な思考がすぐに私たちの心に満たされますが、これは普通です。

こういった侵入思考が来るときは、いつも池に投げ込まれた石を想像してください。 そしてその石が水の表面にどのように当たって消えるかを想像してください。

水しぶき

・私たちがこれらのどうでもいい考えをコントロールし、拒絶することができるようになるにつれて、恐怖と悩みまたは今まで気にもしていなかったけれど潜在意識に刻み込まれていた、誰かの作り笑顔や、軽蔑的な表情が私たちの心に入ってきます。

・今、これらの感情と思い出を振り返り、なぜそれらが私たちの気分を損なうのかを考えるときです。この段階で重要なことは、言い訳や迅速な評価を避けることです(私のパートナーは私に厳しく話したが、それは私が彼を怒らせたからだ、など)。 私たちは現状をそのままとらえる必要があります。たとえ誰かが私たちに酷い仕打ちをしても、その人が苦しんでいるように見てしまうことがあるのです。

目を開いて結果を出すには、毎日練習しなければなりません。 遅かれ早かれ目が開かれるときは私たちのもとに来て、私たちの心から目隠しを取り除き、私たちを閉じ込めて不満を感じさせる何かを特定するのに役立ちます。

この過程が終われば、私たちはもはや同じ人ではないのです。私たちはただ一つの選択肢、つまり個人的な義務を負うだけです。そして私たち自身の自由と幸福に向かって真っ直ぐ見つめることです。 過去を振り返ることはもう必要ないのですから。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。