黄色い花をもった抱き合う二人

過去ではなく、一緒にいる今を見つめる

あなたは今の私を知っているのに、私がかつてどんな人だったのか気にしますか? 私が過去にした間違いが問題になるのでしょう?その間違いのおかげで一度自分自身を崩壊させた後、時間をかけてやっと元に戻ることができたのに。 それが今あなたの知っている私です。あなたにそれを評価してもらうとか、拍手してもらうことを頼んだわけではありません。 私が過去にどんな人だったかは問題ではなく、一緒にどのように成長できるかということが大事なのです。 (さらに…)

ADHDを持つ子供

「先生へ」:ADHDを持つ生徒を理解する

注意欠陥・多動性障害(ADHD)と診断された子供達は教室の中で教師が望むのとは違った風に行動する傾向があります。このせいで、教師は必ずしも最適とは言えない対策を取ってしまったりします。ADHDの子供の立場になってみれば、そうした子供が学校でその状況をどのように見ているかが分かるかもしれません。ADHDを持つ生徒をもっと良く理解するにはどうしたらよいでしょうか? 勝手に決めつけたり、腹を立てたり、自分の観点から有効だと思える解決策を押し付けることは簡単なことです。そのせいで、私達はこうした子供達への教育により多くの壁を作ってしまっているかもしれないのです。きっと彼らは注意はしているのだけれど、ただそれが従来通りの方法でなかったり、社会的に正しい形ではないというだけなのかもしれません。きっと私達の方が彼らは学びたくないと思っているだけで、実際には彼らは学ぶことを心の底から楽しんでいるのかもしれません。ADHDを持つ生徒は先生に(または親に、祖父母に、あるいは友達に)言いたいことがあります。あなたは聞く耳を持っていますか? 感情の自己規制とADHDの生徒 ADHDを持つ生徒は感情をコントロールしたり、規制したり、うまく対処したりするのが大変難しいことが多いです。そのため、周りには完全に不適切な行動のように見えてしまうことがあります。このコントロールの欠如から、ADHDを持つ子供は感情を強烈で手に負えない形で表現してしまいます。大人の目からすると、この表現方法は未熟な行動に相当しているのです。 しかしながら、この場合、未熟さが原因ではありません。少なくとも未熟という言葉の古典的な語意においてはです。私達は子供と接しているのです。彼らは若いのですから、未熟です。

悲しげに鏡を見る女の子

小さな大人:子供はすべてを理解している

子供は、私たちがただの子供だと思っていても、成長し予想より早く成熟するものです。 彼らの体は小さくてまだ発達途上かもしれませんが、まるで彼らの中に成人がいるかのように、私たちが思うよりはるかに多くのことを知っているのです。 子供たちは大人と同じような経験をして苦しみ、生活しています。 子供は、彼らの年齢では持つ必要のないような責任を求められているのです。 (さらに…)

微笑む女性

かつて泣かされたものに笑顔を向ける時

私たちの人生には多くの瞬間があり、その中には辛い思いをした瞬間や、自分の思い通りに行かずに落胆した瞬間もあるでしょう。またある特定の状況と関わりのある瞬間だけではなく、一瞬にして二人の関係が変わってしまった人間関係に関わる瞬間などもあります。できる限り注意を払っているにもかかわらず、すべてが変わってしまう瞬間があります。 (さらに…)

空に浮かぶ家

家庭で防ぐべき3つの負の態度

健全な家庭は、おそらく私たちが精神的に強くなるための最も大切な要素の一つでしょう。逆もまた成り立ちます。病的な家庭は、精神的にも身体的にも、私たちをずっともろく、病にかかりやすくしてしまうのです。 家庭という言葉は、両親と子供2人に犬1匹といったステレオタイプ的な家族だけを指すのではありません。家庭とは、私たちが住み、兄弟姉妹・友達・親、時にはペットや訪問者たちと共有できる場所なのです。この場合、一人暮らしの家ではなく、共同生活の場として捉えます。 (さらに…)

ブーケ

すべてを心から行える繊細で優しい人になる

どこからともなく現れて、わたしたちの生活に光を与えてくれる人は天使のような人です。こういうひとは、清らかな心を持ち、すべてを心から行うことができる繊細な人です。自分の魂が傷だらけでも、他人の毎日をもっと美しいものにすることができます。 繊細さはその人の在り方だけではなく、生き方であり、共有の旅でもあります。繊細な人は、感覚や感情を通じて他人や自分に力を与えます。しかし、そのような繊細性を非難する人が必ず現れます。それを弱さのサインとみなし、その強さを見ることができないひとです。 (さらに…)