嫉妬の二面性を知っていますか?

嫉妬の二面性を知っていますか?

最後の更新: 26 9月, 2017

西洋文化は嫉妬をわずかでも承認したがりません。女性が歴史を通して「アダムを騙した」重みに耐えてこなければいけなかったとしたら、嫉妬はカインがアベルを殺した動機の汚名として長い歴史を持ち続けてきました。事実、日常で使われるフレーズに「カインより性質が悪い」というものがあります。幼い子供によく使われるこのフレーズは、直接子供の行動を非難したり、第三者にその非難すべき行動を表現したりする時に使われています。

更には、嫉妬は七つの大罪の一つとみなされ、強欲と密接に関係しています。宗教的な背景から離れると、中世の法廷生活における話は個人による権力の座への嫉みが元となった暗殺だらけです。そこまで昔に遡らなくとも、久しぶりに会った人が素晴らしい旅行の話をしているディナーパーティーなどで、よく嫉妬する人を見かけるでしょう。

―ナポレオン

横たわる人

嫉妬が人間の中にあり続ける理由

嫉妬が最も強力な原動力の一つとして生き残っているのを正当化できる理由が2つあります。

一つ目は、目標や目的を定めることと関係しています。嫉妬は、望むものや、まれに必要なものへと注意を向けさせる蛍光ペンのようなはたらきをします。なので、誰かの仕事を嫉むということはそれは自分の進むべき職だということを示しているのかもしれません。実際にやっている人からそれについて知る事で感じる嫉妬が助けとなるのです。

嫉妬は物への願望だけではなく、能力や姿勢、形にも及びます。ある人には様々な環境に適応できる天分があったり、ある人は自身の存在でその場を明るく照らすことができたり、またある人には落ち着かせてくれる影響力があったり、またある人は聞き上手だったりします。こういった人が与える影響を見ることが、それを真似ようとする方向へ私達を向けさせます。

また嫉みはやきもちとも密接な関係にあります。失うことへの恐怖と共に、嫉む気持ちは身の周りにいる人に自分へ注意を向けてほしいということを指しています。小さい子供でもこう感じるため、例えば家族に新たなメンバーが加わった時など見られる複雑な感情の一つが嫉妬なのです。

動機としての嫉妬

ここからはなぜ嫉妬が存在するかの2つ目の理由についてです。この理由は動機と関係があります。嫉妬は自己優越感以上のものになることはほとんどないため、あまり尊貴な動機として思えないかもしれません。しかし、結局のところ、それでも嫉みは原動力なのです。前にも言いましたが、私達は親切な人の振る舞いを見て、親切にされた人から受けた反応をうらやましく感じたりします。ですから、こうした行動から受ける結果を目の当たりにすることが、他人の生き方も向上させようと頑張る気にさせるのです。

その姿勢は前向きでなくてもかまいません。例えば、貰っている給料の額にしてはあまりに多くの時間を働き過ぎていると思っているとします。そこで、同僚の多くが咎められることもなく定時より早く退社していることに気づき始めます。とすれば、彼らの行動を真似ることを選ぶのは不思議ではありません。

多くの場合、嫉妬は要素そのものに対して生まれるのではなく、むしろ要素がもたらす結果に対して生まれるのです。例えば、素敵な新しい車を持っている人がうらましいと感じる人がいます。現実には、多くの人はその車を嫉んでいません。彼らが嫉んでいるのは、その車と車の持ち主が持っているステータスなのです。彼らは力とお金があるということを世界に知らしめる物を所有することを嫉んでいるのです。

とある調査によると、もし購入する電話のメーカー名を隠す携帯ケースに入れて持ち歩くこと を義務付けられた場合、多くの人がそのメーカーの電話を買わないと言います。これは理解するにはやや複雑な話です。なぜなら、先ほどの嫉妬のように、あるメーカーと関わりを持ちたいという気持ちは、ほとんどの人が合理的な存在でありたいと思っているのとは相反し、感情面での自分の在り方を物語ってしまっているからです。

実は、自分の行動を正当化するための理由の多くが、その行動の動機そのものには全くなっていない、という事実があります。例えば、あなたは電話を買う前にどれだけバッテリーがもつかに気づけませんでした。もしかしたらそのことがスペックに書かれてあったかもしれません。しかし、後にそのバッテリーの寿命が十分であることが分かると、これを購入する動機として簡単に使ってしまうことでしょう。

カップルと犬

嫉妬の大きな問題

この感情の最大の問題の一つは、嫉妬が自分の手元にあるもので幸せになる能力を妨害してしまうことです。嫉妬は、森の中で森全体を見えなくさせ、一本の木しか見ることができなくなる程まで、私たちの注意を捕えて離しません。更に、嫉妬が誰もが持つ不満の感情をより根深いものにしてしまうと、その感情が私達の生活の木食い虫に変わってしまいます。止まることのない、上昇し続ける、追い求め続けるその欲求は大抵、嫉妬によって動機付けられているのです。

嫉妬は感情であり、また他と同じように、エネルギーと規制するために必要な情報をもたらすものです。ですから、嫉妬が制御権を手にし、私達の視界を曇らせ、私達の手元にある全ての善を楽しむことを妨げる時、負の感情になるのです。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。