ピノキオと一緒に教育の大切さを知ろう

ピノキオと一緒に教育の大切さを知ろう
Leah Padalino

によって書かれ、確認されています。 映画批評 Leah Padalino.

最後の更新: 21 12月, 2022

カルロ・コッローディの作品「ピノキオの冒険」に出てくる主人公のピノキオはディズニーの映画にもなり、大人と子どもの両方から愛されるキャラクターです。映画、演劇、そしてテレビなど、様々な形で登場することがあるピノキオのイメージは、嘘をつくと鼻が伸びてしまう、木で出来た男の子だと思います。しかし、このストーリーには子どもの嘘というイメージ以上の内容が隠されています。今回は、ピノキオと一緒に教育の大切さを知りましょう。

まずは、原作とは内容が違いますが、最も知られているディズニー版ピノキオに焦点を当てましょう。これは1940年に初上映され、今でも子どもの教育の大切さを教えてくれる良い作品です。しかし、1940年代からは多くのものが変化したので、私達がそれに合わせるのも重要なことでしょう。人生とはどういうものだったのかイメージし、そして私達の愛するピノキオのイメージをアップデートするのです。

ピノキオの別のストーリー

まず映画の冒頭では、不思議の国のアリス、ピーターパン、そしてピノキオの3冊の本があり、ジミニー・クリケットがピノキオの本を開いて物語がスタートします。他の作品は10年後にアニメーションとなったのでこの演出は興味深い部分を感じますね。

他の2つの作品と比較すると、様々な類似点が見られます。

  • 主人公は、成長したくない、または大人になりたくない子どもです。
  • 正しい事と正しくない事などのモラル的な教えが含まれています。
  • 動物と人間が物語の基礎的な役を演じています。
  • 物語に出てくる子どもはよく質問をする好奇心旺盛な子達です。
  • 3つの作品全てが社会、特に教育に関する様々な側面を批評しています。

もっと深くそれぞれの作品を分析することも出来ますが、今回はストーリーを少しおさらいしながら、ピノキオと最も関連性の高い側面だけに焦点を当ててみましょう。

ピノキオに色を塗るゼペット

ピノキオの誕生:木で出来た男の子

ピノキオという人形は心優しく誠実で働き者のゼペットにより作られました。では、まずゼペットの父性について見ていきましょう。彼には世話をしているペット、ネコのフィガロと魚のクレオがいます。ゼペットはペット達をまるで家族のように扱っていました。そして、ペットと共に家庭を築き、父親のようにしていたのです。

しかし、彼は本当の子どもが欲しくなり、木で作ったピノキオに命が与えられるように願い始めました。すると、ブルーフェアリーがやってきて、彼の望みを叶え、ピノキオに命を授けたのです。ここでピノキオが木で作られたのは偶然ではありません。実際に、神話の中には木で出来た人間というアイデアが創造を象徴することがあります。そして、ピノキオは本物の人間になる準備が出来るまで、木の少年となるのです。

ブルーフェアリーはジミニーに、ピノキオに良心を教え、人生を導いてあげる仕事を与えます。これもまた重要なポイントの一つで、様々な文化の中ではジミニーは幸せと知恵を運んでくれる者だと捉えられているのです。ブルーフェアリーは、ピノキオの母を象徴しているので、彼女はピノキオに命を与え、ピノキオが本当に彼女を必要とした時に現れるのです。

「良心がなんだか知ってる?教えてあげる。君の良心は誰にも聞こえないような弱い心の声なんだ。だからこの世界は悪いままなんだよ。」

-ジミニー・クリケット-

人生の道

善悪の区別をして、誘惑を克服することを学ばなければ、大きな問題が生じます。ジミニーは彼を助けようとしますが、ピノキオはたくさん失敗を繰り返します。良心というものは私達全員が持っている内なる声で、それは小さく聞こえにくいのです。

次に、ピノキオは学校に行き始めます。そこで出てくる交差点は人生の道を隠喩しているもので、道を進む以上、障害はつきものだということを表しています。その道から抜け出すのは簡単です。ピノキオは良くも悪くも正しい道を進み続ける為には学び、知恵をつける必要があるのです。

ピノキオは世界に疎く、純粋な男の子でよく問題にぶつかるので、それは彼にとって挑戦でもあります。そんな時、彼は2人の詐欺師に出会います。ジョンというキツネと仲間のネコのギデオンです。このキャラクターの起用も偶然ではありません。キツネとネコは裏切りと関連性があるのです。

2人のキャラクターは両方読み書きが出来ず欲深い人物なので、ピノキオの純粋さを利用しようとします。彼らは詐欺師になるという誘惑に負けてしまったキャラクターを表しています。

「なんで役者は良心を欲しがるのだろう?」

-ジミニー・クリケット-

その後、騙されたピノキオはストロンボリの為に人形として働き、歌や踊り、ワイヤーなしでの演劇をします。ここで私達はこの人形としてのピノキオに皮肉と比喩を感じます。なぜなら人形は誰かが動かさないとと動くことが出来ません。ワイヤーと彼を操る人が必要となります。ピノキオはそれが必要ないので、自由に動けるはずですが、彼は人生は思っていたものと全然違うことに気付くのです。

「教育は欺瞞から守り、文盲はあなたを脆くする。」

キツネ

学習と開放

ストロンボリから逃げ出してきたピノキオはジョンの罠にまた引っかかってしまいます。彼はピノキオにスペードのエースを与え、それが遊びの島のチケットだと言い、遊びの島では子どもでもタバコが吸えて、お酒が飲める自由な場所で全てが素晴らしいと信じ込ませたのです。

しかし、そこにいる子ども達は騙されおり、彼らの「楽しみ」が終わったらロバに変身させられて労働を強いられるのです。これは、教育の欠如は奴隷的な労働を導くということを示しています。

その後、遊びの島から脱出したピノキオはやっとゼペットが自分を探して出かけた矢先、クジラの王様に吸い込まれたことを知ります。彼は心配になり、父であるゼペットを救出する決断を下すのです。そのクジラのお腹の中でゼペットと再会し、そこから抜け出そうとします。この場面は解放を象徴しており、逆境を克服して知識の扉を開く意味が含まれています。

一方、このストーリーは嘘についても強調しています。ブルーフェアリーがなぜピノキオが学校に行ってないのか尋ねた時、彼は間違ったことをしたと思い、自分を守ろうとしました。ここで嘘は防衛本能を表します。

その嘘は計画的でもなく、綿密なものでもありません。 子どもが罰から逃れようとする時につく嘘と同じです。このタイプの嘘は4から5歳の子どもによく見られ、なかなか改善されることがありません。また、ピノキオシンドロームと呼ばれている病気も存在するのです。

嘘をつくピノキオ

教育を受けることは自由になること

この映画がいつの時代に作られたのかを意識することは大切です。しかし、読み書きが出来ないというのは西洋の国々では今でも深刻な問題です。また、教育システムと理想の家族モデルは特定の考え方によってコントロールされ、柔軟でない現実もあります。社会の一部ではこれは事実ですが、多くの人達は変わってきています。

ピノキオが私達に残したメッセージは、教育は私達を自由にするというものです。知識は良い決断を導き、欺瞞から守ってくれます。私達は教育する側の世代で、そこには子どもを自由に、そして良い決断が出来るように考える能力が持てるよう教えてあげる責任があります。

ここで話している教育は学力(数学や国語、体育など)のことだけでなく、論理、思考、そして分析が出来る力を持つ為の教育も意味しています。子どもは一人一人違います。彼らの世話をしてあげるのは責任でもありますが、特権でもあるでしょう。先生は重要な役割ですが、子どもの為に家でも「先生」になってあげましょう。

「教育者の最初の仕事は人生をかき回してあげること、そして成長するように自由にさせること。」

-マリア・モンテッソーリ-


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