過剰な愛はあなたをダメにする
私たちが愛に関して語るとき、「愛すれば愛するほどいい」と思われがちです。このうそを信じてしまうのは、キャンディーに化けた毒薬を飲み込むのと一緒です。愛する人のそばにいる瞬間を分析し苦しみのほうが圧倒的に大きいなら、何かがおかしいといえます。それは「愛」の被害者になっているということです。
愛は苦しみではありません。愛は、常に悪いことが起こりかねない状況でもありません。誰かを愛することは、盲目になることでも、考えられないようなことを正当化し、情けからどんなこともゆるしてしまうことでもありません。愛は、依存ではありません。パートナーとへその緒でつながっていなければいけないということでもありません。
愛は、量の問題ではなく、質の問題です。愛は、過保護になることではありません。パートナーについて回って、彼らの問題すべてを解決してあげることではありません。見た目だけが大人の子供のために、すべてから守り世界をコーティングしてしまうことではありません。そして、もちろん肉体的にも精神的にも愛によって打ちのめされるようなことがあってはいけません。もし、恋人関係が感情のバランスを崩したり、健康や統合性に影響を及ぼすなら、愛が過剰になってしまっている証拠です。
「ロマンチックな愛は何も求めないという考えは、従順な心の想像だ。何かを与えたら、人は見返りを求めるものだ。相互関係は当たり前のことだよ。」
-ウォルター・リソ-
恋愛関係におけるマスク
男性と女性の間には大きな隔たりがあります。恋人関係を理解したり対峙したりする方法の違いです。隔たりには、その人が育ってきた文化的理想、教育、家族環境、さらに生物学的違いも大きな影響を及ぼします。
特に親などのロールモデルとの子供時代の経験が、他の人間とどのようにかかわっていくかに影響します。つらい困難な状況、愛情不足、重要な人物の欠如、限度の欠如などは、愛情の求めかた、与え方に影響します。
高い依存または強迫観念で愛と向き合う女性がいます。感情の流れは非常に強烈です。相手のケアや理解のニーズを通じて愛を表現し、「救世主」的な役割を担おうとします。皮肉にも、そういった女性は相手に同情することができるのに、自分の痛みには疎い傾向にあります。
「生産的に人を愛することができるなら、自分自身を愛することもできるはずです。他人を愛することしかできないのであれば、そもそも愛すること自体がわかっていないのと一緒です。」
-エーリヒ・フロム-
自分の感情を恐れる男性
多くの男性は、客観化の手段として自分の感情から逃げます。どういうことかというと、自分の仕事に没頭したり、ドラッグにおぼれたり、考える時間を与えてくれる趣味に没頭したりします。これは、自分の感情をコントロールし理解する能力がないために使われる感情ブロック法です。不安や問題を、抵抗やコントロールができない、恥ずべき罪の重荷だと思っているため、男性はそれに対峙しない傾向にあります。回避したほうがいい重荷だからです。
このタイプの行動は、男性だけでなく女性にも見られます。しかし、女性は、愛情とケアを求め与えるために、ケアや犠牲を行うことが多い傾向にあります。男性は内的な目標より外的な目標を設定することで、自分を守り痛みを回避しようとします。つまり、個人的な目標ではなく、非個人的な目標です。
どんな時に過剰になる?
多くの場合、パートナーに満足していません。しかし、「難しい時だから」といって、その事実を否定しようとします。恋愛関係とはこういうものなのだと思って、はじめは情熱的でだんだんねじれていくことを正当化します。
きっと変わってくれると自分に言い聞かせて、相手を許します。あるいは、「傷つくのが怖くて」関係を断つことができないだけかもしれません。これらのうその背景には、苦しみへの恐怖があります。1人になることや、自分を受け入れてくれるひとを見つけることができないかもしれないことを恐れているのです。
恋をして報われずに終わったことがありますよね?とてもいい中毒的なセックスができるのに、それ以外の関係はつらいことがあったかもしれません。パートナーに対して母親のようにふるまってしまったり、誰かそばにいないと自分の人生は意味がないものに思えてしまったりしたこともあるかもしれません。
人と関わるとき、様々なシチュエーションを経験します。痛みを和らげるために、それだけ多くの過ちや自己欺瞞を行ってきているはずです。
「罪の意識、恥、怖れは、欺瞞の直接的な動機だ。」
-ダニエル・ゴールマン-
未来を変えるために過去を分析する
誰かといるときのふるまい方、パートナーのふるまい方を立ち止まって分析してみたら、同じような側面が見つかるかもしれません。別の人とであっても、何度も同じようなチャプターを繰り返しているかもしれません。人生の中でパートナーは表われ消えていきます。でも、私たちはいつも同じ場所でつまづきます。悪循環にはまって、ただただ繰り返す状態に陥ってしまうかもしれません。逃げることができずに、どうしてこんなことになったのか分からなくなります。同じようなドラマチックなメロディーを、同じ間違ったコードで奏でます。オーケストラが違っても、あなたがディレクターだからです。相手が違っても、人生の違った局面にいても、同じことは繰り返さないと思っていても、また過剰に愛し、間違った方法で愛を表現してしまいます。
過去の跡
どうしてこういうことが起こってしまうのでしょうか?子供時代に身につけた関係構築のパターンに、深い関係があります。人生の中でずっと実行してきているために、変えたり諦めたりすることがおそろしくひどい変化に思えてしまいます。でも、現実に気づき意識することはもっともっと難しいです。起こっていることすべてを見ることは非常に困難です。
鍵は、自分を理解し、なぜ常に自分の面倒を見て守ってくれる人を求めてしまうのか、問うてみることです。自分が何を感じているか説明しようとすると言葉が出ないのはなぜなのか、結局口に出すことを諦めてしまうのはなぜなのかを理解しましょう。相手が何をしているか気になり、自分のそばにいないとき相手をコントロールしようとするのはなぜなのか?どうして苦しんでいるのに、不運な関係から抜けられないのか?
人との関係性を構築する方法が自分自身や相手に害を及ぼしているのに、理解しようとしたり変えたりしようとしなかったら、あなたの人生は学びの旅ではなくなります。命を懸けたサバイバルです。愛することがつらいなら、痛みを止めるためにまず自分自身を愛してください。
「自分を愛することは、終わらないラブストーリーの始まりです。」
-オスカー・ワイルド-