あなたに私の話を聞いてほしい
孤独は、あなたが悲しみに沈むのには良いでしょう。でも、あなたが話したいと思い、疑念を膨らませている時には良くありません。私達が何を必要とし、望み、願っているのかを言葉にしても、そこには誰もいないのです。そんな時にはソファーも毛布もアイスクリームも、何の役にも立ちません。つい、そんなものでどうにかなるのではないかと思ったりしてしまうのですが、もちろん何の解決にもなりません。
そこで、電話の連絡先リストを眺めて、誰に向かってこの感情をぶちまけるかを考えます。ある人の名前にたどり着くと、自ずと答えは見えてきます。その人が何と言ってくるか、大体推測することができるでしょう。きっとその人はハッキリとした答えをくれる人ではないはずです。そして彼らは温かいコーヒーを一緒に飲んでもくれないし、嫌々仕方なく私達の話を聞くだけかもしれません。
聞いて欲しいから私は話す
私がつらい思いをしていることを理解して、気持ちを和らげてほしくて、私はあなたに話すのです。私がひどくいイライラしていても、とても陽気な日であっても、裏では涙にシーツを濡らしている、そんな事を分かってほしいのです。「だから言ったじゃないか」なんて言うのは簡単かもしれません。でも、「賢いあなた」はこんな苦しみを味わったことがありますか?
どんなに賢くたって、私の恐れも、不安も、希望も、私自身のもので、あなたに私の人生の指導者になってもらうことはできないのです。全てを投げ捨てて、逃げてしまいたいと思っても、全て私自身なのです。私を馬鹿だと思わないで欲しい。こんなに狂いそうな時でも、私は大事な事はいい加減にはしません。本当に大事な事には真剣です。それが本当に最善だと思わない事はしません。例え私を苦しめている不幸が続くとしても。
叱って欲しいわけでもありません。本当は分かっているのです。でも例えはりつけにされたって、自分を止めることができないと感じているのです。我慢できないほど、私の心は叫んでいるのです。本当にしつこく、頑固で、まるで疲れというものを知らないかの様です。だけど悲しいことに、全て私自身の心なのです。本当に私自身は深刻なのだから、笑わないで欲しいのです。笑うことで少しでも気を和らげようと考えるかもしれませんが、それは間違っているのです。あなたのすべきことはたった一つ、そんなの取るに足らないことだと、私に感じさせて欲しいのです。本当は私も少しはそう感じているはずなのです。
「共感とは、あなたの意見を伝えることなく、ただ傍にいること」
-マーシャル・ローゼンバーグ
あなたが何をしたいか、知りたいのではない
そしてあなたが私に対して何をしたいのかを、知りたいわけでもない。少なくとも、あなたが私を理解してくれている、そしてあなたが私の、足先止まりでなく、もっと内面まで歩み寄ってきてくれるのだと、感じることができるまでは。私の悩みをなくしたいと思ってくれているのだと、感じることができるまでは。そうすれば、きっとあなたは、私に価値ある選択肢を示すことができるでしょう。しかし、あなた自身の立ち位置に戻ってしまってはできないことです。
私が過去の過ちに気付いたからといって、あなたの言うことを聞くようになるとは考えないで欲しい。あなたの基準や判断よりも、あくまでも私自身の物が重要なのです。私は自分の行動に対する責任まで放棄したわけではないのです。もしかしたら私がまた、過ちを繰り返すのを、あなたが我慢することになるかもしれません。でも、きっと私があなたの立場になっても、そうすることがあるのではないでしょうか。
抱きしめて欲しい。もしかしたら私は不満をぶちまけるかもしれない。でも許して欲しい。忘れて欲しい。それはほんの八つ当たりなのです。どんな時にだって、私を抱きしめることはできるはずです。そうすることできっと私は落ち着くことができるはずです。その間あなたに孤独を感じさせるかもしれないし、大変な時間と労力を裂いたかもしれない。でもここでやっと、私は落ち着いて、あなた自身の立場から、あなたの悩みや希望を聞くことができるようになるのです。一緒にアイスクリームを食べる、そんな些細なことも楽しめるようになるのです。