新しい恋で昔の恋は忘れられない

新しい恋で昔の恋は忘れられない

最後の更新: 13 9月, 2017

新しい恋や考え事は、以前の失恋や悩みを忘れさせてくれるものではありません。「新しいクギは昔打ったクギを外してしまう」というよく知られた諺は「失恋を乗り越えるためには新しい恋をしろ」という意味ですが、それは間違いです。

失恋の悲しみを癒す薬のような誰かを探す、ロマンチックな新しい恋をするのは、最善の選択とは言えません。心に深く刺さってしまったクギは、それを直してくれる金づちでなくては抜けません。他のクギを打っても、つまり新しい恋をしても、それは心の穴を大きくしてしまうだけです。

失恋から立ち直るには、誰もそばにいてもらわず、一人でいましょう。ヴィンセント・ガリード博士の説によると、わたしたちは何か理由を追求するためには一人になろうとする傾向があるのだそうです。

誰かとの関係が複雑な理由もなく、自由意志のもとに壊れてしまうということはなかなか理解できません。なぜなら、ただ単に当人同士の愛情がなくなった、または他に好きな人ができた、という理由は、その関係に対する責任を放棄するのには不十分だからです。

「愛する時間はとても短く、忘れるための時間はとても長い」

―パブロ・ネルダ

別れを受け入れ、二人の間に生まれた距離と、ベッドの半分が空いた状態で新しい生活を始めながら、心に誰か新しい人がいるという状態は、その人を絶望させます。人の脳は「警戒」状態に入り、心の痛みがまるで焼かれているような本物の痛みに感じられてしまいます。その燃えるような心情は、ドーパミンによってすぐに、そして簡単に和らぎます。

このつらい感情にはまってしまわないよう、別れを順当に受け入れようとする人もいます。そういった人たちはゆっくり、そして慎重に、失恋の痛手から立ち直ります。しかしその一方で、恋の終わりを受け入れようとせず、どうにか関係を修復できないか手だてを探す人もいます。そして、最終的には誰かと束の間の関係を築くという無益な手段に出てしまいます。

失恋は心の中で生きている

釘だらけのハート

「新しいクギが古いクギを外す」という言葉は、「タスクラン紛争」という西暦44年ごろのマルコ・トゥーリオ・シセロンの本に初めて登場します。この文章はマルカ・ブルートが翻訳し、その際に彼が「Novo amore, veteram amorem, tamquam clavo clavum, eficiendum putant(新しい恋は古い恋を忘れさせる。1本のクギが古いクギを外してしまうように)」と付け加えました。

私たちにその気がちゃんとあれば、安定した、幸せで成熟した新しい人とのつながりが、人に新しいチャンスを与えてくれることは明らかです。なぜならどんな人もかけがえがなく、誰かで穴埋めをすることはできないからです。どんな人であっても、誰かの失恋を癒すための薬になったり、一時しのぎの絆創膏になったりすることはありません。

別れは化学的に説明できる

ルーシー・ブラウンは、アインシュタイン大学の薬学部出身の神経科学者で、愛に関する脳の反応についての専門家です。彼女は、通常別れによって生まれる感情を乗り越えるには、半年から2年ほどかかると述べています。もちろん個人差はありますが、さまざまな研究によると、男性の方がより乗り越えるのに時間がかかるようです。一方女性は、別れてすぐのころには男性よりも強くショックに苦しみますが、比較的早く立ち直ります。

別れの経験は心に大きな傷を残しますが、それは私たちの脳が他の人間とつながりを持つようにプログラムされているからです。人が好意や愛情に基づく心理的な絆を構築したとき、独特な充足感を感じます。その絆が壊れることは、心という船が転覆するようなものです。

恋愛関係の初期においては、その情熱は脳のもっとも原始的な部分とつながっています。それは関係を失ったときにも同じです。また、それは悲しいときの苦い感情とも同じです。その感情は、脳の原始的な部分にしっかりと残ります。しばらくすると、その気持ちは脳の推論能力に関する部分を支配します。ですが少しずつ、人は泣いたり、寂しい気持ちをまだ強く感じたりしながらも、その感情から脱していきます。

 

霧の中を走る二人

 

泣くべきとき、愛するべきとき

誰かとの関係が終わり、つらい気持ちや複雑な気持ちを感じて間もないときに新しい関係を始めることに、その痛みを和らげる効果はありません。悲しい気持ちから目をそらさせたり、心から笑ったり楽しんだりすることはできません。

悲しみを見てみぬふりをすることは、あらゆる感情から全力で逃げているだけです。人は愛情に飢え、慰めを欲しがります。別れを穏やかに乗り越える代わりに、強いインパクトで埋めようとしても、それは相手が自分のことをもう愛していないのだと思い出させるだけです。

「忘却とは、思い出でいっぱいになることだと聞いたことがある」

―マリオ・ベネデティ

人は中途半端なことを嫌い、中途半端なことは二次的な感情を刺激します。その感情が、たとえば誰かの代わりの暖かい人を求めて恋をさせ、感情を麻痺させます。ですがどうれあれ、誰もがかけがえのない存在であることは明らかです。もしかしたら、そんなリスキーな行動も思っていたよりはいい結果を呼ぶかもしれませんが、それでも、あらゆる恋は心に残ったままです。さらに大きな穴を作ってしまうまえに、それをぜひ思い出してください。

新しい恋はあなたの欠けた心や求められたいという気持ちやフラストレーションを甘やかすだけで、それはあなたが他の人に求めるものを持ち去ってしまいます。夜中に家に忍び込んでくる泥棒のようなもので、モラルに欠けています。

夕焼けに見える麦

私たちは、他の人が「前に進んでいる」ことをしょっちゅう耳にしてしまう現代社会に生きています。他の人に「最近どうなった?」と聞くと、誰もが「大丈夫、前に進んでるよ」と返しがちです。まるで、一度立ち止まれば負けてしまう、常に前を向いていないといけないようなハードな競争の中にいるのが義務であるかのようです。

ですが、誰にとっても時々立ち止まることは必要です。わたしたちは不思議の国のアリスの世界に生きているわけではありません。ここには生き残るためにアリスを追いかける赤の女王もいません。私たちの脳も、時には落ち着いたり内面を振り返って整理して、建て直す時間が必要です。

泣く時間があるから、また人を愛することが出来ます。他の人を愛するのではなく、もう一度自分を愛しましょう。なぜなら、心というのは恨みを感じることもありますし、夢が破れることは、自分の心を卑下します。でも絶対に、どんな人でも、そんな荷物があってもまた幸せになれるのです。


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