敗北の受け入れ方を身につける重要さ
勝ち負けについて何かを学ぶ必要などない、とお考えではありませんか? しかし、敗北の受け入れ方や成功への対処の仕方を身につけておかないと、人生にネガティブな影響が及ぼされるかもしれないのです。
現代社会では、成功を掴み取ることがほぼ義務のようになってきていますし、成功自体が厳しいパラメーターで評価される傾向があります。このため、人々はおそらく成功することを実行すべき任務のように捉えており、後々自分がそれを本当に成し遂げたのだと証明できるようにしておくのです。一方で、負けることは失敗、あるいは不名誉と見なされていますが、どちらの考え方も正確ではありません。
こういった文脈の中で、負けを認められるようになるのが難しいと感じる方もいるでしょう。時には敗北により熱意や個人的な強みが減退させられてしまうことがありますし、また別の時には、強迫的かつ頑なに振る舞って結局フラストレーションという負のサイクルに陥ってしまうこともあり得ます。
敗北を受け入れられるようになるのがそれほど難しいのはなぜ?
前述のように、敗北を受け入れるのがとても難しい理由の一つは、周囲に蔓延する誤った信念です。例えば、何も勝ち取ることができなければ失敗したも同然だ、と世間では信じられていますよね。しかし、負かされることと失敗することとの間には大きな違いがあるというのが本当のところです。実は、前者は完全に自然のなり行きとしての挫折であり、後者は単なる思考態度に過ぎません。
概して、敗北を受け入れることができない人は生活の中の三つの領域で苦労することになるでしょう。
- フラストレーション耐性の低さ。物事が必ずしも自分の望んでいた通りに運ぶわけではないという事実を受け入れづらいと感じます。
- 自尊心の低さ。これは、自分自身への批判の仕方と関連しています。自分には失敗したりミスを犯したりする可能性があるということを受け入れられないのです。自分の傷つきやすさを理解・尊重できないため、自己評価が低くなってしまいます。
- 価値体系。成功を過剰なほど重要視する傾向があります。これはつまり、自己成長や生活に関するその他の貴重な側面にあまり目を向けられていないという状態です。そのため、何かを勝ち取るための過程で経験した物事よりも結果の方ばかりに価値を見出そうとします。
敗北を受け入れるのが難しいという人は、偽物の優越感を抱いている可能性があります。しかし、計画していたことが実現できないと、自分自身についていた嘘が音を立てて崩れてくるのです。
強情さを捨て、敗北を受け入れられるようになろう
敗北の受け入れ方がわからないでいると結局、フラストレーションや不快感を感じることになります。例えば、恋人との関係が終わったと認めるのを拒む人は、相手との仲を修復しようと何度も何度もチャレンジしようとするかもしれません。
もう一つの例が、何らかのチャンスを逃してしまったという事実を受け入れられないことです。そうなると、その失われたチャンスをもう一度掴もうとして似たような道をたどる羽目になるでしょう。そして実は、自分自身に対してかなり辛く当たってしまうことにもなります。また、おそらくその時点で自分が持っている本来の能力以上のものを自分自身に要求してしまうでしょう。もしくは、途中でやめてしまった自分を、あるいはその行為を完了できなかった自分を、激しく叱責することもあり得ます。
このような強情さを持つ人は、実際に起きたことを頭の中で処理することができません。また、その経験から学びを得ることもできないのです。さらに、ネガティブな感情が増加し、怒りやフラストレーションが溜まっていきます。これに加えて、身動きが取れなくなり、完全な静止状態に陥ってしまうことすらあるかもしれません。ただしこれは、現実を受け入れることに対してどれほど抵抗があるかによって変わってきます。
負け方を学ぶ
心理学的観点から見れば、負けることには莫大な価値があります。まず、誰もが生まれながらに持っている幼稚なナルシシズムを、敗北によって終わらせることができるのです。そこから、全てを達成することなどできないのだ、そして欲しいもの全てが手に入るわけではないのだ、と認識できるようになっていきます。実は、あらゆる現実がこの原則に則って築き上げられていくのです。
次に、負けることによって多くの学びを得ることができます。実は、自身の限界がどこにあるのか、どこで自分は間違えたのか、そして今現在自分は人生のどの位置にいるのかを、敗北によって知ることができるのです。したがって、新しい目標の達成に向けて用いることのできる新たな知識を敗北が生み出してくれるということになります。これは、エラーに基づいて前進していくという、科学と同様の仕組みです。
負けを受け入れられるようになるということは、好奇心と興味を持ってその経験を処理する必要があるということです。もちろん、負けるのが好きな人など誰もいません。しかし、負け方を心得ている人々は、フラストレーションを感じていてもそれをかなり素早く克服できる傾向があります。実は、逆説的に聞こえるかもしれませんが、負け方をわかっているというのは勝ち方をわかっているという意味でもあるのです。
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Sánchez, A., & María, A. (2010). Instrucciones para la derrota. Narrativas éticas y políticas de perdedores. Barcelona: Anthropos.