イサベル・アジェンデ:素晴らしい作家の人生
イサベル・アジェンデはチリ人の作家であり、彼女の作品は35カ国語に翻訳されています。7000万以上の本が出版されて、彼女は世界で最も読まれているスペイン語の作家だとされています。 1973年9月に、軍事クーデターで失脚した元チリ大統領のサルバドール・アジェンデのいとこである、外交官の娘でもありました。
執筆活動を通じて、イサベル・アジェンデは全ての女性らしいものの中の崇高な美しさを明らかにして、読者の中の抑制された潜在的な能力を呼び覚ましました。政治的な混乱の中、家父長的概念的な指針に対して、文学的な積極行動主義をとりました。そして、女性に自分自身を呼び覚まし自己発見をするよう促します。
かなりの繊細さで、イサベル・アジェンデは美、世界のすべての美しいもの、人に対する無条件の愛を表現しています。彼女の作品を読んだり聞いたりすることで、私たちは気分が高まります。
アジェンデは、世界をより良い場所にすることに力を注いでいます。作家というよりは愛と美を武器として利用する活動家と言った方が良いかもしれません。本記事では彼女の旅路と作品のいくつかを見ていきましょう。たくさんの人を鼓舞したこの素晴らしい作家へ賛辞を贈りたいと思います。
幼少期
アジェンデは、ペルーのリマで誕生しました。父親が外交官として勤務する間、ここで過ごします。その後親が離婚して、彼女は母親と兄弟とチリへ引っ越します。しばらく母親側の祖父の家で暮らします。この男性は、家庭内の権力者であり、アジェンデの人生の重要な側面に影響を及ぼしました。学問を終えたのち、彼女ははじめの夫であるミゲル・フリアスと結婚して、パウラとニコラスを授かりました。
1967年、アジェンダは女性向けの雑誌である『パウラ』の編集者になります。彼女の記事はチリの社会における女性の役割に注目していました。面白く皮肉的で、そのためにかなりの議論を呼びました。当時チリではかなりの変化が起こっており、革命やカトリックの保守的かつ家父長的な社会での女性の解放運動が始まっていました。
キャリアと亡命
有名な軍事クーデターの後、イザベル・アジェンデはベネズエラに亡命せざるを得なくなります。この国には13年間住み、新聞社や学校に勤務しました。しかしこの国に住んでいる間に祖父の健康状態が悪化した知らせを受けます。
チリにいる祖父のそばにいることができず、アジェンデは、のちに今までにない文学的成功につながっていく手紙を書くことになります。それが『愛と精霊の家』 です。1993年に、ビレ・アウグストがこれを映画化し、大きな成功を収めています。
初の小説の成功の後、イザベル・アジェンデはさらに2冊の本を執筆して大きな成功を収めました。『愛の奴隷』と『エバ・ルーナ』です。その後、3冊目の小説の出版後すぐ、彼女は学校を去り、執筆活動に専念することにします。
1人目の旦那さんと離婚したのち、アジェンデはアメリカの弁護士であるウィリー・ゴードンと再婚してアメリカに移り住みます。1988年以降、彼女は同国に居住しています。
娘のパウラの死と目覚め
1992年、娘のパウラが28歳の若さでマドリードの病院で亡くなります。これにかなりの衝撃を受けたアジェンデは、抜け出せないような深い悲しみと絶望に陥りました。この長くつらい時期に、アジェンデは『パウラ、水泡なすもろき命』を執筆します。これは愛する娘への賛辞です。多くの女性が共感して、これもベストセラーとなりました。
『パウラ、水泡なすもろき命』は、『愛と精霊の家』同様、手紙として始まります。愛の表明かつ、娘の死を受け入れることを学ぶ方法をつづっています。病院で娘の看病をしている間に、彼女は同作を書き始めました。『パウラ、水泡なすもろき命』はただの娘への手紙ではありません。アジェンダ自身が自分の家族の話を語る、自伝的な語りになっています。
「死というものは存在しないのよ。人は私たちが忘れた時死ぬの。母が亡くなる直前に教えてくれたわ。『私のことを覚えていたら、いつもそばにいるわ』って。」
-イザベル・アジェンデ、『パウラ、水泡なすもろき命』–
アジェンデは、この小説にすべてをぶちまけました。その語りは彼女自身の状況、家族の問題などの文脈をたどっています。何度もアジェンデは執筆することの癒しの力について言及してきました。これによって、経験したことに向き合うことができたのです。『パウラ、水泡なすもろき命』を通じて、アジェンデ自身が状況と娘の死を受け入れた方法を見ることができます。ある意味、『パウラ、水泡なすもろき命』の執筆は、治癒的な活動であり、現実への目覚めだったのかもしれません。
『パウラ、水泡なすもろき命』の売り上げで、彼女は娘を賞賛する方法として、イザベル・アジェンデ・ファンデーションを設立しました。4年後、鬱を乗り越える最中、『アフロディータ』を執筆します。これは、生命の賞賛です。多くの人はこの作品を、曲の主要な部分が感謝と官能である「人生の歌」として見ています。
女性らしさに関する素晴らしい考え
全てのイザベル・アジェンデの作品は、ダンテの愛する女神、ベアトリーチェを思い起こさせます。彼女はその存在だけで他人から愛されるような人でした。彼女はこのような女性たちは愛する人の反射であると言います。人が自分自身の神秘的な本質とつながることを可能にするような素晴らしい人です。この反射の裏にあるのは、創造性、インスピレーションであり、個の最高の部分は発散し、向上して、人間の潜在能力を超えていきます。
個人的にもキャリア的にも、イザベル・アジェンデは伝統的な女性のタイプの原型を変えてきました。この文学的な作品を通じて、独りよがりでなく、自分自身に恋に落ちた女性という新しい姿を描き出しています。
アジェンデの作品を通じて、女性の主人公をたくさん見ることができます。例えば、『神と野獣の都』では、女性が主人公ではないものの、女性が重要な役割を果たします。『神と野獣の都』に出てくる女性は年老いていていますが、彼女は止まることがありません。
この素晴らしいチリ人作家の特徴のもう一つに、ラテンアメリカの考察があります。習慣、伝統、2重性、原住民などに、アジェンデは鼓舞されてきました。彼女は世界の美しさとすべての社会の魅力的な側面に感謝しています。
「忘れられるべきではないことを書いてください。」
-イサベル・アジェンデ-