自分のことだけ考えると不幸になる?

· 2017年11月11日

自分のことだけ考えるのはよくない、と多くの人が言われてきたと思います。これは、モラル、宗教、家族の習慣の観点から言われていることが多いです。しかし、他のルールと同じように、「行間」に隠れたメッセージが存在します。この表現では、すべての人は自分勝手な性質を持っていて、もっと徳のある人になるために自分勝手な性質と戦わなくてはいけない、という意味に受け取られるかもしれません。

神経科学の発達により、そうではないことが証明されました。徳というよりはむしろ、身勝手でいないことは人間が生きていくための必要な性質と関係があるようです。さらに、自分以外のものを見る力は、発達した知能の特徴です。それはセロトニンの分泌を増やし、それによって幸せを感じることが証明されました。

「みんなが大丈夫になるように努力をすることが、唯一許される身勝手です。それよって、自分の人間性も高まります。」
-ハシント・ベナベンテ-

のちに仏教の僧侶になった、分子生物学者のフランス人マチウ・リカールもこのことを肯定しています。この人は有名なヨーロッパの哲学者であるジャン=フランソワ・ルヴェルの息子です。リカールは、アメリカで行われた脳に関する権威ある調査に参加した有名な科学者でした。彼はネパールへ行き、彼らのライフスタイルを真似、そこにとどまりました。

 

自分のことだけを考えると退歩する

マチウ・リカールは、結局自己中心や身勝手さは不幸せの原因だと確信しています。永遠に「自分」にフォーカスしていると、被害妄想的な立場を取り始めるようになります。気づかずに「自分」を保持または高める方法ばかりを考え、または何よりも誰よりも自分を優先する方法を考えます。

 

自分のことだけを考えた結果、恐怖でいっぱいになります。愛することは、「わたし」との関係を断ち切り、他の人の中に交じり合って生きることです。反対に、身勝手でいることはバリアを生み出します。防御的になります。脅されているように感じ、一人ぼっちのように感じられるようになります。

頭に鳥

もし、自分の周りで起こることだけを考えていたら、世界の見方を大幅に制限してしまいます。この習慣は、現実を別の視点から見ることを難しくします。驚きからあなたを遠ざけます。日々の感情的な経験を制限し、あなたを鈍感にさせます。

身勝手さは不幸を生み出す

マチウ・リカールは、人間は二つの顔を持つオオカミだとしています。一つ目は、自分のことしか考えない残忍なオオカミの顔です。もう一つは、自分の群れのために行動するオオカミの顔です。どちらが表面に現れるのでしょうか?それは、えさを多く与えられたほうです。

仏教の僧侶である彼は、自分のことだけを考えるのは怠惰につながると考えました。さらに、怠惰は残忍性につながりやすいとリカールは考えています。怠惰のような状況では、無関心や憎しみの考えしか浮かんでこないからです。自分を高める方法として、他人を憎むことから始めます。他のみんなが悪者で、自分だけが良い人であると思います。他の人は残忍で、自分だけが光を見ることができます。

このダイナミックに陥ってしまった場合、笑顔が消えます。怒りが常時のムードになります。他人は幸せの理由にはならず、みじめにさせるだけです。みんなが厄介に思えて、自分を悲しませます。あなたのエゴを満たすように動いてくれません。このような状況では、つらいだけです。

手のひらにとり

利他主義は高次の在り方

研究室で脳の研究をしていた際、リカールは他人に従事することは人を幸せにすると証明しました。実際に、鬱を患うひとの気持ちを上げるために連帯感を持つ手法が使われています。

連帯感は、身勝手の逆です。だから、逆のことが適用されます。あなたが他の人にサポートの姿勢を見せるほど、もっと世界のことがわかってきます。あなたの精神と心は解き放たれ、他人の現実を理解します。こうすることで、さらに感受性を養い知性を身につけます。異なる視点から世界を見ることができるようになり、自分の感情的な世界を豊かにします。さらに高い質の人間関係を作り出すこともできるようになります。

リカールは、最も高次の連帯は思いやりだと考えています。彼は歴史的な事実に注目しています。様々な形のさらに複雑な思いやりに世界は常に向かってきています。人権、女性の権利、さらに最近でいうと、動物の権利などは、その発達の証です。

ブッダ

リカールにとって、世界のいたるところで素晴らしい革命はすでに起こっています。それが、思いやりです。彼は、短期的には思いやりが経済の回復に必要な条件をも作り出してくれると考えています。中期的には、さらに良い生活の質をもたらしてくれます。長期的には、環境の保全につながります。彼は、協力は人類が生き残る唯一の方法はであるということに私たちがゆっくりと気づいていくだろうと確信しています。