人生の価値を理解するために強烈な体験は必要か
事故、病気、愛する人との別れ、誰かが戻ってこないという気づき…。このような瞬間には時間がとまります。自分がこの世界にいるのはとても短い間で、人生とははかないものだと気づきます。こういうことがなければ、人生のありがたさは理解できないということでしょうか?
私たちの日常は繰り返しとなってただ流れていきます。自分でもよくわからないけど、もっと何かを求めてしまうことがあります。時々、自分の生活で大切であるはずの人間関係をおろそかにして、息もできないくらいにコードで自分をぐるぐる巻きにしてしまいます。 単調に進むことに慣れすぎて、家の快適さに慣れすぎて、それが帰る場所であることを忘れてしまいます。
習慣化:感情的な麻酔?
習慣化は、何度も経験した刺激に対しての反応が薄くなる学習された習慣です。当たり前に思っていることに対して注意をしなくなります。賢くいることの重要さや愛する者がそばにいてくれることの幸せを見失います。
しかし、嵐がやってきてすべてを一掃してしまうことがあります。壁を壊し、あなたの人生を拗らせます。おかしく聞こえるかもしれませんが、人生のありがたさを理解するためには時には極端な状況も必要です。このような厳しい状況では、自分の持っているものにありがたみを感じます。自分の人生のありがたみを感じず、自分の持っているものに注意しないことがどれだけばかばかしいかわかります。
人生は永遠ではありません。しかし、人生を無駄遣いしている人のほとんどが、人生を失うことを恐れています。「今日はここにいて、明日は何があるかわからない」という状態のもろさを恐れます。プランを立てるなとか未来のことを考えるなということではありません。
ここでお伝えしたいのは、人生は現在だということです。まさに今起こっています。昨日のことを考えたり明日の心配をするのは、今日の大切さを無視して大事なものを見失うことかもしれません。
人生に感謝することと、ルーティーンが全くないのとは違う
人生に感謝することは、ルーティーンがあってはいけないということではありません。心臓をどきどきさせるために極端な感情を探し求めるということでもありません。目を見開いて、小さなことに注意を払って、今ある時間を存分にいかすということです。
自分という人間、自分が手にしているもの、それを失わないための戦いに意識を置くことです。うまくいっていないことに注意を向け、修正できるようにします。そうすることで、明日はより良い日になります。もっとありがたみを感じられる日になります。人生に価値を与えることとは、時間に意味を与え夢はどんな時も叶えることができると理解することです。
自分の義務に注意を注ぎ過ぎたことに後悔している、といった女性がいます。遅くまで働いて、時間を無駄にしすぎた、と感じています。義務の力に負けて、自分の子どもたちと十分な時間を過ごせなかった日々を後悔しているのです。
あなたが献身するべきではない物事は存在します。身を捧げる価値がないものです。また、とても大事だからこそ、当たり前に思ってはいけないこともあります。どれだけ頻繁に起こるとか、いつもそこにあると感じるなどは関係ありません。とにかく当たり前には思ってはいけないことです。
「人生には、勝者も敗者もいません。失敗も勝利もありません。人生では、学び、成長し、発見します。書いて、消して、書き直します。物事は回転して、ほどけて、またぐるぐる巻きになります。」
-アナ・セシリア・ブルーム-
一呼吸おいて、自分に耳を傾け、周りにあるものを聴いてみてください。毎日、小さなことに目を向けてください。美しい午後の大切さを過小評価しないでください。時間を取り戻すことはできないので、十分にいかして投資してください。
立ち止まって考えてください。時間は止まりません。しかし、時間はまだ残されています。それはあなたのものです。時間は過ぎます。気づいてください。人生のありがたさを感じるため、時には大きな経験をするようにしてください。人生は価値のあるものです。