身体の痛みと許し

身体の痛みと許し

最後の更新: 27 10月, 2017

許しとは多大な精神力を要求する複雑なプロセスです。許しが自発的に発生することは滅多にありません。傷が深い時は特にそうです。許すことは多くの場合とても難しいことです。しかし、憤怒があなたの健康と幸福に深刻な影響を及ぼしてしまったりします。

しばしば、身体的な痛みに理由がないように見えることもありますが、そうではありません。どれだけの体の痛みが実は心や感情によって引き起こされているのか、想像してみて下さい。

診療所は、よくこうした痛みから解放されたいと望む人でいっぱいになります。そして、ほとんどの場合、症状を隠してしまう処方箋で片付けられてしまいます。問題は、症状の原因が明らかでなく、症状が深刻でない場合、医者は多くを費やしてその病原を探そうとはしない傾向にあることです。

心に浮かぶ全ての事が体に反動を与えますその理由は単純です。基本的に全身は感情を知覚し処理する神経系と関連があります。ですから感情や思考が変異を起こしたリ処理されなかったりすると、同じ様に具現化されるのです

しばしば、そうしたことは体のある部位に感じる異常や痛みとして現れます。この痛みは認識可能な原因を持たず、身体的な変異の証拠も見られません。これが患者を不安にさせます。それは、医者が機能的疾患に詳しくない場合、医者をも不安にさせるのです。

体と許し

この件に関する研究が、身体的痛みと許しなどの感情的プロセスの明確なつながりを確立することを可能にしてきました。ここで許しについてお話しているのは、複雑な感情プロセスには消化しにくいとても強力な感情があるからです。それは怒り、悲しみ、パラノイア、そして憤怒に関連しています。ですから、複雑な感情プロセスは深刻な害を心に引き起こす可能性があり、また身体的痛みとして具現される可能性があるのです。

鏡の破片に映る女性の目

言葉で悲鳴を上げられない時、体が悲鳴を上げます。許せないということは、過去に生きるということであり、進展することのない感情に縛り付けられていることになります。こうした覆い隠された憤怒が独りでに残り、大変否定的な形で増大していきます。人によっては、それはまるで燃えている炭を手に握ったまま、憤怒を感じている相手に向けて投げる瞬間を待っているような状態だと言います。その憤怒は、炭が投げられる人よりも握っている人の方により深い害を引き起こすのです。

とりわけ体にあるいくつかの器官は、許せず残ってしまう感情と関連しています。喉、呼吸器系、首、足首、背中などの多くの器官が、ハッキリした理由もなく傷ついた場合、許しのプロセスが完了していないことを示す体の部位となります。

体の中にある許しの地図

一定の理由もなく、繰り返し現れては消える身体的痛みには注意を払うと良いでしょう。これは解決されていない感情、特に聞き入れられていない許しを示している可能性が高いです。こうして体は許しについて訴えているのです。

髪が花の女性
  • 喉の痛みと違和感:喉の痛みは言えなかった言葉と関係があったり、攻撃に対して受けた痛みを表現することができない無力さと関係しています。
  • 頻繁に風邪を引く:これは流すことができなかった涙を象徴しています。可能性の高い理由はプライドやあるいは害を受けたと認識できていないことで感じている強い怒りです。
  • 首の痛み:この体の部位は柔軟性やその欠如を反映しています。もし憤怒があなたの生活に留まってしまっていたら、首の部位はおそらく大変な影響を受けているでしょう。憤怒は長期間の間に持続した強い緊張感を生み出す情熱です。そのため、首の筋肉に影響することとなるのです。
  • 足首:許しのプロセスへの道を開きたくない時、足首がこれを反映する可能性が高いでしょう。人生で前進する能力はこの間接に反映されています。足首が痛い時、あるネガティブな感情にしがみついていることがほぼ必ず理由となります。
  • 背中・腰の痛み:この場合、許しの無さが無意識のうちに拒否された重みとして体感されます。憤怒は特に背中の中央辺りに及ぶ痛みとなる感情の重圧を生み出します。もし憤怒がお金と関係がある場合、より頻繁に腰の辺りに投影されます。
  • 膝の問題:これは頻繁に折れることに対して不本意に感じている状態と関係しています。この場合、プライドが行為を支配しています。意識的にか無意識的にか、許しが降伏の行為だと信じ込んでしまっています。
  • 歯と歯茎:体のこの部位はあらゆる種類の攻撃的な感情と密接な関係があります。怒りを表現することが難しいと、歯が欠けたり、歯茎が炎症したりする可能性が高くなります。怒りが激しい場合、歯は定位置からはみ出してしまいがちです。
裸の女性に絡まる蔦

体は表現されていない感情の道を辿ることができる地図のようなものです。私達は単なる有機体でもなければ、ただ心があるだけというわけでもありません。心と体は一致しています。心と体はお互いを補い、影響し合うものなのです。ですから、身体的痛みを感じる時、関連しているかもしれない感情的要素について必ず振り返ってみるべきなのです。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。