家族がストレスの元であるときの対処法
家族がストレスの元になるときがあります。家族の木の根に絡まって、害のあるようなふるまい、要求、恐怖症や明らかなナルシシズムに基づく感情的な絆から離れられないことがあります。自分自身の尊厳を守り関係性を改善するために、このような状況に対処しなくてはいけません。
この世に生まれることは、煙突から落ちるようなものだという人がいます。どのような家に行き着くかわからず、どんな社会的環境にいきつくかもわかりません。これが人の心理的な構造の大部分を決定づけてしまうにも関わらずです。また、どんなタイプの愛情を親から学ぶかもわかりません。家族が幸せを与えてくれるのか、ネグレクト的な態度なのか、非難、侮辱、攻撃が日常的に起こる環境なのかも、生まれるまで分からないことです。
「自分から生まれ、自分に向かって進んでいく。家族や社会にとめられそうになっても、自分らしくいよう!」
-アレハンドロ・ホドロフスキー-
良い家族のもとに生まれるかどうかは宝くじのようです。家族を生き抜いて、必ずしも解決できるとは限らないいらだちや緊張でケガをせずに抜け出すことも奇跡です。問題が解決されずに、大人になっても親の価値観と衝突して、おじさんやおばさんと競い合い、兄弟と対抗することになることすらあります。
他人と生活をすることは簡単ではありません。しかし、敵対プロセスはそこに敬意がある限りは自然と流れます。この場合、何が何でもそばにいてあげるべき家族に頼ることができます。しかし、そうではなかったらどうでしょう?お互いへの尊敬が皆無で、こころの状態を常に傷つけられている場合はどうしたらよいでしょう?自分自身の家族によってストレスを感じさせられたり息苦しく感じさせられたらどうしたらいいのでしょうか。
家族にストレスを与えられ息苦しく感じるとき
同じような間違いは冒さないと自分に言い聞かせます。うまくいったためしがない家族の集まりや祝い事にはいかないと決意します。自尊心を傷つけられるような感情的な脅しには屈しないぞ、と自分に言い聞かせるかもしれません。しかし、同じような罠に何度も何度もはまってしまうんです。
どうやったらこれを止められるでしょうか。この人たちは自分の家族であり、血や遺伝子の上に成り立っている関係です。自分の非常な献身の方がはるかに大きかったとしても、彼らを尊重・尊敬しようとしてきました。手に負えないような状況を目の前にして、脅しをかけられることすら許してしまいます。一生続く関係を台無しにしないようにと、自分の頭をもたげて舌を噛みます。
家族にストレスを与えられるとき、たくさんのことが脳裏に浮かびます。完全に縁を切ってしまう時かも?それとも一生血の絆の中で息苦しく生きていくしかない?極端に走る必要はありません。それは健全ではないし、耐えられるものでもありません。ここで、どんなガイドラインに沿っていけばいいか見てみましょう。
家族がストレスになるとき、極端な決断をせず落ち着いて観察してください。
家族におけるストレスを感じる状況の対処法
感情と複雑な関係性のため、家族の対立は人を疲弊させます。この感情的な浸食はかなり深くまで起こり、この息が詰まるような家族の文脈の中で、どんな言葉もジェスチャーも大げさに処理してしまうようになるかもしれません。
リラックスするようにして、内なる平安を見つけてください。私たちは人生の中でたくさんのことを飲み込み、かなりのいら立ちと怒りをため込んでしまいます。このような負の感情を吐き出さなくてはいけません。感情的な緊張感で溢れた部屋を喚起したら、次のステップへ進みましょう。
自分自身と家族のアイデンティティーを定義する
家族という文脈から離れたしっかりと定義された強いアイデンティティーを確立させないと、感情的な健康は常に危険にさらされます。へその緒を切り取って、自分自身のイデオロギー、価値観、ニーズに基づく独立した存在として自分を扱うべきです。
自分のアイデンティティーと自己認識がしっかりしていれば、疑いの余地などなく何が正しいか、何が許されて何が許されないのかがわかります。さらに、害のあるふるまいや自己陶酔的な行動がはっきりと見えるようになり、境界線を引くことに関して良心の呵責を感じなくて済むようになります。共存するには境界が必要だとわかるんです。
いつも家族に同意する必要はない
家族のストレスは、調和の崩れが根幹にあります。また、仲裁者ではなく対抗者としてふるまう人がいるため起こってしまう問題です。このようなシナリオによくあるのは、受け入れられたいという願望です。他人をがっかりさせたくなくて、一線を越えるを避けます。
真の家族は、完璧なハーモニーに生きるユニークな小宇宙のようです。いろんな色、素晴らしい要素、ユニークな特徴の様々な鉱石が合わさった宝石です。その宝石の美しさは多様です。どれも異なって、それぞれ素晴らしいです。よい家族は、息苦しくさせたり障害を生み出すのではなく、尊重し合い、助け合うものです。