犬儒哲学がかつてすばらしかった理由 

犬儒哲学がかつてすばらしかった理由 

最後の更新: 15 6月, 2018

ディオゲネスは、犬儒哲学(cynicism、この単語には「皮肉」の意味もある)の父です。紀元前4世紀の古代ギリシャ時代を生きました。 このような犬儒哲学の信者は、現代の皮肉屋とはだいぶ異なっていました。彼らの皮肉は純粋な批判です。多くの社会の偽善には同意しておらず、もっと純粋な生き方をしたいだけでした。

「皮肉な(cynical)」という単語は、ギリシャの「犬」を意味する「kinus」から来ています。そのため、当時の人々は犬儒哲学をかなりとるに足らないことと見ており、イヌの生活と連想していました。ディオゲネス自身は、かなりの貧困でイヌのように生きました。しかし同時に、彼の哲学的な教えは本質的なところがあり、 当時最も痛烈な思想家のひとりとなりました。イヌの模倣は、イヌの生活の2つの面を見せます。

 

「皮肉は、自分を他人から遠ざける薬のように左右します。それは、あなたの人生にその潜在性のある毒が入っていくまで自分の周りの危険を感じないようにする麻酔のようです。はじめはあなたを楽にして恐怖を笑い飛ばす助けになるかもしれません。しかし、最終的にはあなたを毒します。」

-マルセラ・セラーノ-

最近では、皮肉はとても異なる意味を持ちます。現代では、皮肉家は価値を信じず皮肉をひけらかします。改善しようという思いで社会を批判するのではなく、ただただ非難します。正当な貢献をしません。また、皮肉家という言葉は大ぴらに他人を利用する人を意味して使用します。それを誇らしくすら思っている人です。

シノーペーのディオゲネスと原始的な犬儒哲学

ディオゲネスは、モラル的な偉大さあふれる素晴らしいことで称賛されています。彼は家を持ちませんでした。彼の家は一つの樽でした。ぼろきれを着ているため見た目は物乞いのようです。しかし、それにもかかわらず、同時代の人の中でも最も洞察に溢れた人でした。プラトンは彼を「頭のおかしいソクラテス」と名付けました。

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アレクサンドロス大王はディオゲネスを知ることに興味を抱いていたといわれています。彼はディオゲネスのところへ行き、次のように自己紹介しました。「私はアレクサンドロス大王である。」それに対してディオゲネスがこう答えました。「わたしはディオゲネス、イヌです。」短い会話のあと、アレクサンドロス大王はディオゲネスにこう言いました。「欲しいものを何でも言いなさい。」それに対しディオゲネスが言ったことは、「どいてください。あなたは太陽を遮っています。」でした。

別の逸話によると、ディオゲネスはある日広場でごみ箱に捨てられた野菜を食べていました。別の思想家が彼を通って言いました。「わたしのように高貴な身分の人ために働けば、野菜を食べなくて済むのですよ。」ディオゲネスはこう答えました。「あなたがわたしのような野菜だったら、立派な人のために働かなくていい。」このようなことは、彼がどのような思想家だったかを知る手掛かりになります。

現在の皮肉

いつどんな時代も金と権力は常に退廃の原因です。しかし、資本主義の登場と素晴らしいユートピアの崩落によって、今まで以上に悪化しています。金と権力は、わたしたちの社会にある多くのあさましい行いを促してきました。

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現代の皮肉の父は、権力の思想家、マキャヴェッリと言えます。彼は有名なフレーズ、「終わりよければすべてよし」で有名です。彼のあとには、個人主義を高めた思想家たちが続きます。彼らによれば、人間が何を犠牲にしても追い求めることは自己中心性です。自分にメリットがある行動は、何であっても正当であるという考え方です。

歴史の中で、大きな政治的・経済的力を持っていた人は、現代的な言葉の意味での皮肉の姿勢で行動していた傾向にあります。社会を導いたり操作してきたりしたリーダーは、多くの人のモデルになりました。そのため、たくさんの人がこれを正しいと見なします。偉大なイデオロギーやユートピアの崩壊後は特にです。金の力は敗北し、だからこそ終わりよければすべてよしの言葉がこんなにも意味を持ってきたのです。

人間関係の中の皮肉

権力の上層部から、皮肉は広がりわたしたちの日々の人間関係に浸透していきます。一種のパワーゲームが行われているときに、これをはっきりと見ることができます。この例のひとつには、雇用主と従業員の関係があります。男性と女性、大人と子どもの関係にもみられます。

皮肉に関しては反する流れが強いものの、わたしたちの社会では重要な位置を保ち続けています。しかし、それはとても目立たずに表現されることが多いです。雇用者、男性、大人が、思い付きでルールを作り上げていることがあります。従業員、女性、子どもがそれに抗議すると、「つべこべ言うな!」と言われます。

皮肉な行為は意地が悪いものです。人間関係にこれらの考えが浸透していくと、不健全な関係を作り出していしまいます。短期的、中期的、長期的に、このようなふるまいをするとネガティブな影響があるということです。偽りの愛情は、隠れた罪を助長し、偽善を促します。すぐに自己中心的な満足感が得られるかもしれませんが、得るものより失うもののほうが多いことに気づくはずです。

イメージ:Kylli Sparre

 

 


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