謙虚になって人生に感謝する
人生において、私達はあらゆる物をもっともっと欲しがってしまいがちです。そして、これは欲するもの全てを手に入れる衝動となるまで続きます。期待とは主観的かつ偏っているものであり、渇望することを過剰な期待をすることと間違えては絶対にいけません。私達はしばしば、自分の期待が友情や恋愛関係、約束の理想化に基づくものだったということに気づくことがあります。
期待とは、有効利用したいのであれば扱い方を知っておかなくてはいけない諸刃の剣です。期待は、時には私達を前進させてくれるのに必要な動機となり、また別の時には、個人的な失望への最短経路となります。何かについて良い期待を抱くことは、希望を感じ、満足な結果を予期させてくれます。危険が訪れるのは、非現実的といった方がより適切であろう程に過度に楽観的すぎる時です。
非現実的な期待への処方箋としての謙遜
謙遜とは、自分の弱さと限界への自覚、かつこれを知った上で行動することと定義できます。他の全人類と比べて自分は優れていると感じることなく、自分の成功や前進を認識する時、私達は自分をとても誇らしく感じたりします。1日1日を謙遜という姿勢を育むために皆努力をすべきです。
謙遜という姿勢を育むことで私達は不釣り合いなプライドを持つことから距離を置くことができます。横柄で過剰にプライドがある人は現状に直面するのに必要な知識のなさを隠したりします。傲慢な人は自分の周りの人よりも自分が優れ、より重要だと感じており、そのため、その人の目的は常に他人よりもすごくて優れていなければいけないのです。時に、これが自分の過大評価された能力と共に更につじつまの合わない目標を作り出すことへと導いていきます。
謙虚な人は真実味のある人で、複雑さはなく、高い自尊心があります。謙虚な人は自分のことをよく分かっているため、自分がどれだけ素晴らしいかということを毎時間高い山の上から叫んだりする必要がありません。彼らは私達を惹きつけ、希望と情熱を伝染させ、自分の人生の毎日を楽しんでいる人達なのです。
些細なことに感謝する
感謝することは私達が始められる最も大切な活動の一つであり、素晴らしい幸福の源泉です。自分でもずっと気持ちよくなれて、他人を気持ちよくすることもできる上に、あらゆる切迫性から距離を置いた形で、変化や進歩を自覚をもって穏やかに経験させてくれます。
特に努力することなく人生が投げかけること全てに感謝できているように思える人がいる一方で、どうしたらそうすることができるかをまだ学んでいないために感謝することがとてつもなく難しいという人もいます。愚痴を言い、延々と不満な態度をとっていると、幸せになれないどころか、自分の手にしているものにも満足できなくなってしまいます。
どれだけ多くのことを手にしていたり、様々なことを達成していても、自分に確かにあるものに感謝する代わりに自分にないものだけに焦点を当ててしまっていると、不幸という運命をたどってしまいます。感謝とは謙遜さから生まれた態度です。ですから、感謝できるようになるためには、まず私達は延々と不満な人に欠けがちな性質である謙虚さを持っていなければいけないのです。
簡単な笑顔から「ありがとう」まで、感謝を表現すること、相手にその存在、言葉、行為が大切なものであると伝えること、そして何らかの形でしてくれていることが助けになっていると相手に伝えること。それは、その動機が何であれ他人が私達にしてくれることを感謝し、尊重するかどうかということなのです。