見捨てられた体験による私の傷
私がとっても幼い子供の頃の記憶の一つは、ドアから出て行って二度と戻ってこなかったあなたの姿。ドアがバタンと閉まる音は未だに私を身震いさせ、一生の傷となっている。あなたが私を捨てたこの傷がどれだけ深いものなのか知らないでしょ、お父さん。
自分の父親が出て行ってしまって戻ってこない時、幼すぎるからとか、守ろうとするばかりに大人が何が起こっているかを教えてくれない時、最も傷つきます。なぜなら、行間を汲み取って分かることだけに基づいて現実を描くことになるのは自分自身だからです。
こうした理由があなたを最も傷つける理由です。そして、あなたの男性やパートナーとの将来に傷を作る理由です。なぜなら、その出来事が残していった罪悪感はあなただけにのしかかっているからです。あなたは「悪い娘でお父さんなんかいない方が良かった」と考えるのです。あなたは人間関係の問題はよく分かりませんが、罰のことはよく分かっています。お父さんを失うことは罰なのです。
あなたが私を捨てたことで私には罪悪感が生まれた
自由な意志を持ってあなたの元を去りいなくなったお父さんは、精神的な空虚感を生み出し、あなたはそれを罪悪感で埋めようとします。つまるところ、もし自分が良い子にしていたら、お父さんは出て行かなくて済んだのだと感じるのです。そして、もし自分が良い子にしていたら、自分の側にはお父さんがいてくれて当然だったと信じるようになるのです。
自分が悪い娘でいたから勇気の源を失ってしまったのです。だからお父さんは出て行ってしまったのです。他に理由なんてありません。そして、それ以外に考える選択肢を誰も与えてはくれませんでした。あなたは子供です。そしてそのために、子供の発達における自己中心性が全ては自分の管理下にあると本当に思わせてしまうのです。全てには意味があり、全ては自分と関係していると思わせるのです。
見捨てられる体験は身体的な空白を超えて精神的な空虚感をもたらします。結局、身体的な空白はシングルマザーやその他の親戚、父性的存在による努力によって埋め合わせをすることができます。しかし、感情的な空白は、親がたった一人しか存在しないために、埋め合わせがきかない取替のきかない空虚感なのです。
子供の頃は、物語の中の登場人物に起こる悪い出来事は彼らが悪いことをした結果以外の何物でもないと思っています。それが道徳というものです。ですから、罪悪感はお父さんがいなくなる前の自分の気持ちを最適に説明する感情なのです。だから罪悪感を感じるのです。その他に精神的空虚感を理解する方法を知らないからなのです。
幼少期の見捨てられた体験が将来の人間関係に影響する
感情的空白はあなたに傷跡を残し、隠すことができない空虚感です。それは虚しさであり、将来また起こるかもしれないという恐怖です。この空虚感が全ての男性はあなたの面倒を見るはずだったのに出て行ったあの人と同じなのだと信じ込ませるのです。
見捨てられた体験によるこの感情的な虚しさにより、あなたは自分の価値を疑うようにもなります。自尊心は傷つき、自分を愛することが難しく感じます。結局、とても若い時に見捨てられ体験をした後、自分の価値は自分の側にいたいと思ってくれる他人によって埋められていきます。
そして、それが執着の理由となります。あなたの人間関係は恐怖と孤独によって傷跡が残り、それによりあなたに距離を取らせてしまうのです。あなたは自分を守ろうとして感情的に手の届かない場所に身を置いてしまうのです。そしてそのために、あなたの人間関係は次のようなパターンを辿ります。
- まず、他人に対して脆くなることを避けるために冷たく距離を取る態度を取ります。もし相手があなたを知らなければ、傷つけられることはありません。
- そして、もし相手があなたのことを知ることができると、あなたは相手から距離を取り始めます。これは意識的とは限らず、むしろ自己防衛の手段としてです。感情的な絆がなければ、傷つきはしません。
- これが恐怖を強めていきます。結局のところ、相手があなたを見捨てるというのは自己実現的な予言なのです。この時、あなたが最も孤独を感じます。そして、世界というところは見捨てられることは避けられない敵意に満ちた場所だと思うようになります。
- これがあなたの自尊心を更に縮こまらせてしまいます。皆があなたの元を去って行くのはあなたにその価値がないからだと感じるようになります。それはお父さんの一件で起きたことと同じなのです。あなたは誰からも愛を受けるに値しないのです。
見捨てられた体験を乗り越えることが精神的成熟を越える一歩
見捨てられ体験は、一度越えられれば、いつも精神的成熟に導いてくれる一歩となります。それはもう一度自分自身を、自尊心を、そして他人と関わる手段を築き上げることです。見捨てられ体験を乗り越えることは、たとえ見捨てられた状態であっても、自分を愛し受け入れることで始まります。
それは、空白の痛みを受け入れ、カップルによっては人間関係は特定の主犯がいなくても壊れてしまうことがあり、愛が消滅したり愛によって時に傷つくこともあるということを理解することを暗に意味しています。
これが見捨てられた体験で苦しんだことのある人に愛を与えることがとても難しい理由なのです。
また、それは助けてくれる人に頼り過ぎたり、助けてくれる人を押しのけたりすることなく相手にあなたを差し出せるような社交スキルを習得することで、新しい社交的、そして感情的触れ合いを学ぶことも意味します。
最後に、親の離別につながるような負の感情を乗り越えることで自分も離別を繰り返してしまう宿命を防ぐことができます。離別を自然かつ必要なプロセスであると理解することは、人間関係においてあなたを自由に開放してくれるでしょう。その結果、この思い出が伝染する不安の源とならなくてすむのです。