全てを失う代わりに安らぎを得た
私達は人生の中で自身を破滅に追いやるような嵐を経験することがあります。その一方で、嵐ほど激しくはないけれど定期的に沸き起こり、心の安らぎを奪うような、絶えず凄まじく荒れる不愉快な風が吹くこともあります。それでいて、私達に生きている意味をもう一度与えてくれるような別の風が吹くこともあったりします。人生を分かち合うために生まれた人々への愛情を運ぶような強い風です。そんな風は時々力任せに、そして時々穏やかに吹きます。
しかしながら、時にこうした風は強力すぎる台風へと姿を変え、あなたを引きずり回します。それは、きっとこれまでに小さいながらも嫌な出来事が積み重なり、落ちることはなくても足元がおぼつかなくなる程あなたが弱ってしまっているのからなのかもしれません。またある時は、嵐が全く予想外の時に訪れて、残酷にもあなたを突撃し、人生から安らぎを奪い去ってしまうかもしれません。
こうした風の最中に、嵐の力を全力で感じる時、人生の中で揺るがないと思っていたもの全てが徐々に失われ始めていると感じるかもしれません。見たくなかった痛ましい現実(裏切りや見捨てられなど)が見えるようになるまで頭はぐるぐると回転し、突然にはたらき出すネガティブな考えが他のもっと大事な考えを押しのけていくように思われます。
しかしその時、あなたは嵐であなたの一部を失ってしまったけれど、その失くした部分は別にたいしたものでなかったことを理解するでしょう。それは、あなたが自分の安らぎを見つけるために起こるべきことだったのです。私も人生において同じ嵐に苦しんだ経験があります。正直なところ、そんな激しい嵐なんかに襲われなかった方がよっぽど良かったのかは今でも分かりません。しかし、人生で本当に何が必要なのかを嵐が教えてくれたこともまた真実です。私は多くを失いましたが、前に進み、安らぎを得るには十分のものが手元に残されたのです。
枝が枯れてしまっても心は平和
私達はみんな、まるで人生が一向に変わりそうにないような時を経験します。それだけでなく、なぜ物事がこんなに複雑なのか全く分からない時も経験します。私は普通は引き寄せの法則は信じていないけれど、何か問題があった時にはその法則を信じます。なぜなのかを理解しなければ、人生というのは頭から強くぶつかっていくまで止まってくれないものです。
何が言いたいかと言うと、受けるに値すると思っていた全ての痛みは、ただのまやかしだったということです。まやかしの痛みは逆境に対する強さを全く持ち合わせていなかったのです。
私達には、葉を全て失ってしまう木のように、自身の青々とした枝や華麗な花を全て失ってしまうような時があります。しかし、この乾いた不毛の木について深く考えた時、そこには何か詩的なものがあることを忘れないで欲しいのです。この木は、あなたに情熱や希望、そして約束といったものを胸に抱かせるようなのです。
その木は平和そうに見えて、闘いに耐えることを約束しています。この殺風景で不毛な木の中に秘められた約束が最も素晴らしい美徳だと思えるのです。時に人生で最高な出来事とは、かつて誇っていた美を二度と味わうことができない、朽ちてしまったようなものがまた自力で再生する意志を表明した時なのです。こうした境涯の中で、独自の人生観を見つけることができるのです。
花を咲かせ始める枝
嘆くのはここまでにしておきましょう。津波は自分を特別な存在だと思わせていたもの全てを奪っただけでなく、他にもたくさんくだらない物を奪っていきました。このことに気付き、背筋を伸ばし、肩の荷が軽くなったのを感じて下さい。
そう気付くことで、あらゆるものがもっと自発的で自然になっているのです。偽善に苛立つことももうありません。むしろ単純に心の内で笑えるくらいになりました。あなたを軽視したり、騙したりして傷つけた人達への最善の対処法は無関心です。この唐突に感じる無関心ほど良い対処法はありません。そして、そう感じていることは、他の誰にも教えなくていいのです。それは、両想いの印に自分から微笑みかけるのと似たようなものです。
情熱的な心は、一生癒えることのない傷を残すようなものにしか壊せません。津波はただあなたの自我に与えた傷を思い出させるだけなのであって、失った痛みを思い出させるものではないのです。
だから花はまた咲くのです。あなたは気づくことでしょう、全てを失ったように感じたけれど、全ての出来事は現在の自分になるために必要なことだったのだと。そんなあなたには誰かを責めようなんて気持ちは微塵もありません。その心の平安は、これまで向き合ってきた強い風と比較して初めて見つけられます。その風は最高のあなたを剥き出しにしてくれるのです。あるいは、あなたを完全に新しい自分へと変えてくれるのです。
何も持たない事や様々なことにさよならをすることは、時に贅沢なことだったりします。嵐に抵抗しようとしながら、物が窓の外へ飛んでいくところをみんながみんな納得して見ていられるわけではありません。ずっと自分が正しかったことを認めたいものの、このプロセスの中ではそうでないことが多々あるのです。
このプロセスの理由付けは未来にまたがります。前へ進むのに本当に何が必要なのかはもう分かりました。今あなたは前よりもっと賢くなりましたが、問題が全くなくなったというわけではありません。その代わり、真実の愛に触れて感動で震えたり、友達と笑い声を上げたり、人々と交わる生活を楽しんだりする人生に戻ることができるのです。そして、もうそういった人生を見せつける必要もないのです。
何より素晴らしい事はあなたという木が今も尚高く立ちそびえていることです。あなたは前と同じ人間ではありません。ずっと気分が晴れ晴れとしています。過去の笑顔を恋しいと思うこともありません。それは、今の笑顔がこれから訪れる良き出来事と嵐の後の澄み切った空を意味していると分かっているからなのです。