より良い教育のためのジェローム・ブルーナーの9原則
ジェローム・ブルーナーは、古典的な計算パラダイムに従い続ける認知心理学において、革命を起こした心理学者の一人でした。彼の考え方によれば、当時の心理学は過度に計算的で機械的なパラダイムに陥ってしまっていたのです。
この心理学に反論するために、ブルーナーは文化心理学に基づいた規律を提唱しました。彼の主張は、どの脳の活動も、それが生じている社会的文脈から切り離すことはできないというものです。ブルーナーにとって、文化的文脈を考慮することなく脳内で起こっている現象を理解することは不可能だったのです。
ブルーナーは、認知心理学から学習理論に至るまで、教育心理学に多大な貢献をした人物です。ジェローム・ブルーナーは教育における文化心理学の意味合いを分析したのです。これを踏まえ、彼は還元主義的考え方と暗記を土台とした教育システムに変革を起こそうと試みました。ブルーナーが求めたのは構成主義的な、個々人にフォーカスした教育です。
この実現を目指して、ジェローム・ブルーナーは教育心理学が教育システムを改善するために採用すべき、九つの理論を提唱しました。それでは、前置きはこのくらいにして彼の理論についてもっと詳しく見ていきましょう。
ジェローム・ブルーナーの教育理論
パースペクティビズム(観点主義)
まずは、ブルーナーの概念の裏側にある基本的な考え方を一つ見ていきましょう。彼は、全ての知の創造はそれが組み立てられた元となる観点に制約されている、と考えました。その意味合いは決して絶対的ではなく、客観的でもないということです。
物事の意味合いは、大部分において主観的な観点から成り立っています。何かの意味を理解するということはつまり、その他全ての可能性も含めてそれを理解するということです。それらは、その文脈が生まれた観点によって正しくなったり間違いになったりするのです。
意味の解釈から、ある文化において現実を構築する方法として容認されている方法が何なのかを読み取ることができます。そこから、個々人が彼ら自身の認知フィルターを通してこういった方法を解釈するのです。このようにして、私たち全員が類似性がありつつも独自性もある解釈を行なっていることになります。
制約の理論
次の理論は、意味づけにかかる制約に関するものです。ジェローム・ブルーナーは、私たちが意味づけを行う際に働く二つの重要な制約について説明しています。
- 一つ目の制約は人間の本質的な動き方に関わるものです。人間の進化の過程が、ある特定の方法で何かを知り、考え、感じ、知覚するよう私たちを制限しています。
- 二つ目が、記号システムによって課される制約についてです。これは、私たちが知的活動を行うために用いるシステムであり、サピア=ウォーフの仮説がこの制約の基となっています。この仮説は、思考の表現の仕方や組み立て方には言語が影響している、と主張するものです。
構成主義の理論
知識の構築や意味づけについて話題にするとき、私たちはまず構成主義的パラダイムから考え始めなければなりません。構成主義では、私たちが生きる現実世界は構築物なのだ、とされています。ネルソン・グッドマンの言葉を借りると、「現実とは作り上げられるものである、発見されるものではない」ということです。
そのため、子どもたちに批判的で適応的な形で意味づけを行うために必要な文化的ツールを獲得させることを目指すような教育を社会は行うべきなのです。つまり、教育システムは優れた知識の建築家や構築者を生み出すものであるべきだ、と言うことができるでしょう。つまり、教育がただ知識を分け与えるだけの場であってはいけないということです。
相互作用の理論
知識の交換には、その他のあらゆる人的交流と同じように、人々の相互作用的共同体の存在が前提として必要です。例えば、子どもたちは他者との相互交流から文化や世界観を学んでいきます。よく言われるのは、この相互に関わり合った共同体は言語という贈り物から生まれたのだ、というような主張です。
しかし、この共同体が存在できるのは実は個々の人間の強い相互主観性のおかげです。他者の考えを理解するという人間の持つ能力(心の理論)が、この相互主観性の基盤となっています。
外在化の理論
この理論は、全ての集合的文化活動は「作品」あるいは外部積を作り出すことを目標としている、という考え方に基づいています。このため、文化の外在化には、社会的アイデンティティを生み出せるという利点があります。そしてこのアイデンティティが集団的連帯感を強固にします。
こういった外在化された作品は、思考様式を同じくする人々の集団を作り出します。その結果、共通の目標に向けた協力がより容易になるのです。外在化されたもの(つまり、書籍など)を活用することがこの教育システムの基本となります。このシステムでは、私たちがどう行動すべきなのかを伝えるために書籍を用いるのです。そしてこれも同じように、その教育システムが存在している文化に依存しています。
道具主義の理論
教育には結果が伴います。教育方法やその文化がどんなものであるかに関わらず、その教育を受けた人々の生活に影響が出るのです。また、その結果が私たちにとって何らかの手段となることもわかっています。同じように(それほど個人的な文脈ではなく)、これは文化や制度における手段でもあります。
この理論が強調しているのは、教育が決して中立なものではないという事実です。それどころか教育は常に社会的・経済的な影響をもたらします。こういった影響が、権力やその他の勢力にとってある種の手段となるのです。つまり、教育とは広い意味で言えば政治的な議題であるということになります。
制度の理論
ジェローム・ブルーナーが提唱した7つ目の理論は、制度に関するものです。彼は、先進国世界において教育が制度化されていくことで、教育も制度のような機能の仕方をするようになる、と主張しました。とは言え、教育が果たす役割はその他の制度の役割とは異なります。教育の目的は、子どもたちがその文化に関連する他の制度により積極的に参加できるよう、準備を整えさせることなのです。
そのため、教育の制度化により、教育それ自体もかなりの影響を受けてきました。このように教育の本質が教育における各要素が果たす機能を決定づけ、さらに教育の置かれる地位や尊重のされ方をも決定づけることになります。
アイデンティティと自尊心の原理
おそらく、人類の経験の中でも最も普遍的な要素が、「自己」という事象でしょう。これは、「自己概念」あるいは「自己認識」といった言葉でも表現することができます。私たちが自分自身について知ることができるのは、心の内側での経験があるからです。
さらに、私たちは他者の心の中にもその人自身の「自己」が存在していることを認識しています。社会心理学のいくつかの学派では、自己認識は他人のアイデンティティの存在があって初めて成立する、と仮定しています。
そして、教育は自己認識や自尊心の形成において非常に重要な役割を果たします。だからこそ、学校教育が個人的なアイデンティティの形成にもたらす影響を考慮した教育システムが必須なのです。
語りの理論
最後に紹介するのは語りの理論です。この理論が触れているのは考え方や感じ方についてであり、特に、個々人が、自らが暮らすそれぞれの世界を作り上げていく際に自分がどう思考し、感じるかに関わっています。
ブルーナーは、この過程において絶対的に必要なのは物語を作る際の語りの能力だ、と考えました。実は、この考え方はブルーナーによる心理学への貢献の中でも特に重要なものです。彼は文化心理学における物語の重要性に人々の関心を向けさせたのです。
私たちは、物語を語る能力は自然に身につくものであり、教えられる必要はない、とずっと思い込んできました。しかしもっと深く考えてみればそのような思い込みが全く事実ではないことがわかるでしょう。実際には、教育は大いに人々の語りの質と能力を修正しているのです。だからこそ、教育が語りにもたらす影響について注視し続けることが重要なのです。