仏教に見る10の精神境涯
仏教の宇宙観によれば、10の異なる境涯を表す10の精神世界(十界)があると言います。これらの境涯によって、心が各精神世界に特徴的な感情に大きく影響されます。つまり、あらゆる瞬間において、その境涯に既に備わっているものに支配されてしまうということです。
仏法では、十界は全て同等ではないと説いています。そのうちの4つは、「四聖」としてより高みの境涯とみなされ、他の6つである「六道」は低き境涯とされています。高みの境涯である四聖は、自ら求め、新たな事を学びたいと望み、自己を高めたいと欲する心から生まれます。
対して、6つの低い境涯である六道は、外界に対する反応を指します。つまり、自身という存在が外からの力に明らかに影響されてしまっている境涯です。そうした境涯は進歩ではなく、苦しみの方向へと向かってしまいます。では、10の精神世界である十界について見ていきましょう。
1. 仏界 (Buddhahood)
仏界(あるいは仏の境地)は、十界の中でも最も高い境涯です。また、尊貴な状態の最高峰であり、真の悟りに達した人のことです。
仏界は、いかなる外界の状況にも左右されない、絶対的な内なる平穏を築いた境涯のことです。智慧と無限の慈悲がこの境涯の特徴です。
2.菩薩界 (Bodhisattva)
菩薩という言葉は、仏道修行者が主に慈悲と化他行によって、悟りの境地に達する境涯のことを指しています。
この境涯の人は、他者を苦しみから救ってあげたい、彼らを悟りへと導いてあげたいという心を純粋に持っています。この境涯では、他者に与え、助けを施すことが幸福と平和の源となっています。
3. 縁覚界 (Fulfillment)
「縁に依って悟りし者」というのがこの境涯の別名です。
この境涯は、自立しており、独りでいることを好みます。観察眼、努力、瞑想などによって、物事の「なぜ」を理解することができる人です。 言い換えると、因果応報という理を理解し、それがどういう結果を生むかということを理解している人のことです。
4. 声聞界 (Learning)
「教えを聞きし者」というのがこの境涯の別称です。現実を観察した上でもっと知りたいと思い、新しいことや真実を学び理解することに躊躇のない人のことです。
ですが、この高みの境涯も、外界に頼っている部分があります。この境涯にある人は、自分の感覚や他人から聞いた話を通して、真実を探そうとします。
5. 天界 (Ecstasy)
「天上の者」というのがこの境涯の別名です。自分の欲しかったものを手に入れ、望みを叶えることで生まれる快感や喜びがこの境涯の特徴です。ですが、この至福は一時的なものです。
至福と悟りが違うのは、いかにも至福が一時的であるためです。また、至福は自分ではどうすることもできない外界の状況によります。ネガティブな感情は存在しませんが、それもまた一時的な状態です。
6. 人界 (Humanity)
この境涯にいる人は、理屈を考えられる能力があります。そのため、何が良くて、何が間違っているのかの分別がつきます。
また、自分の行動をコントロールできています。この境涯の特徴は、抽象的な理想に対して情熱を燃やし、ネガティブなことに対して脆弱であるという点です。そこから、高みの境涯へと上っていける可能性を秘めています。
7. 修羅界 (Rage)
怒りの世界とも呼ばれるこの境涯の主な特徴は、競争心です。修羅界では、自分を他人と比較し、常に相手より上回ろうとする傾向にあります。
この境涯にある人は自分より弱い者に対して傲慢で、自分より力のある人に対してはへつらいます。場合によっては、そうしているという意識があることもありますが、それは利己的な目標を達成したいという目的があってのことです。この境涯がうまく進化すると、良い自尊心へとつながります。
8. 畜生界 (Animality)
畜生界は、短絡的かつ不条理な方法で満足を得ようとする境涯のことです。理性や心ではなく、衝動がこの境涯を支配しています。
畜生は、力ある者を恐れ、弱い者を虐げます。この境涯にある命は、生き残るために戦うことが全てです。畜生界がうまく進化すると、忠誠心や寛大さとなります。
9. 餓鬼界 (Hunger)
満たされない欲求に支配されてしまうのが餓鬼界です。何か願望や欲求があるとしたら、それは満たされていないからです。そのため、求めてしまう人は何かが足りないと思わざるを得ない運命にあります。
「餓鬼」とは、満たされない行動を取って、惨めな思いをするということを象徴した意味で使われています。こうした願望や欲求を価値的に変換することができれば、見込みは良いものとなるでしょう。
10. 地獄界 (Hell)
十界の中で最も低い境涯が地獄界です。自由の絶対的欠如を表す境涯です。
場合によっては、逃れられない苦しみに完全に囚われ、打ちのめされてしまっている状態です。言い換えると、憎悪と破壊的な感情が一緒になって、この境涯に囚われている人を窒息死させてしまうのです。
これら十界は特に順番が決まっているわけではありません。つまり、ある境涯から別の境涯へ順番に階段を上るように駆け抜けていくものではないということです。ほとんどの場合は基底となる境涯に支配されがちですが、別の境涯を行ったり来たりすることもできるのです。
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Hua, H. (2000). Los diez reinos del Dharma no están más allá del pensamiento. Buddhist Text Translation Society.