仏教的に恐怖に対処する方法
仏教によると、恐怖に対処することは自分の物の見方に対処することを含みます。事実、この哲学では、恐怖とは物の見方に間違いがあることだと定めています。恐怖は、自分の心をのっとってしまう空想的でひどい想像を根源としています。
また仏教では、恐怖は愛に欠けている人を一番良い土壌とすると説いています。辛辣さ、嫉妬、自己中心的な振る舞いは他人と関わる方法でも有害な方法です。こうした感情は衝突の種となります。
「千の空虚な言葉より良いのは、平和をもたらす一語だ。」
―仏陀―
一般的に、仏教では、恐怖に対処する最善の方法は、現在に完全な焦点を当て、慈悲をもって生きることだと信じられています。これが強さへとつながっていきます。そのため、恐怖の居場所がなくなっていきます。これについて深く掘り下げてみましょう。
恐怖と苦しみを拒否すること
仏教では、恐怖の根本的本質は、苦しみを拒否する気持ちだと言います。また、痛みは避けられないものですが、苦しみは自分で選ぶことができるものだとも主張しています。前者は恐怖の理解の仕方に関連しています。後者は、その恐怖の処理の仕方に関連しています。
苦しみの恐怖は、喪失や衝突、生きている現実と願望との差から生まれる不快な感覚を拒否することから生まれます。その一方で、痛みがあるからといって絶対に苦しまなければいけないというわけではありません。苦しみは、数ある反応の中のたった一つに過ぎません。
私達は痛みは害をなすものだと思い込んでいますが、これ自体が害をなす考えでもあります。ですが、そうである必要はありません。恐怖にうまく対処するためには、痛みへの対処法も知っておかなければいけません。痛みは、受け入れることを学べば、その力の多くが失われていきます。そして、その痛みから学べるものを理解しようとする時、痛みは更にその力を失っていきます。
恐怖に対処するのが目標なら、今にフォーカスすること
恐怖は、ある意味、過去や未来につながっています。怖い思いをし、心の傷となっている経験にいまだにとらわれているならば、その恐怖は過去とつながっています。同じことがまた自分の身に降りかかることを恐れているのです。
未来は困難や痛みを伴う状況をもたらすものだ、と思ったり、時々そのように想像してしまうようであれば、恐怖は未来とつながっています。未来が自分を小さな存在だと思わせ、怖がらせるのです。
恐怖に対処する最善の方法の一つが今現在、この瞬間にフォーカスをあてることだと仏教が強調しているのはそうした理由からです。注意をそちらに向けることで、不要な恐怖にしかならない空想で心がいっぱいにならないようにすることができます。
執着は恐怖の源
精神や魂の平穏は、執着と真逆に位置します。ほとんどの人は何かを成し遂げることだけに焦点を当てているため、これを理解するのは大変難しいことです。これは、物質的所有物だけを意味しているのではなく、感情的あるいは魂的「所有物」も意味しています。これには愛を「所有」することや平穏を「得る」ことなども含まれます。
仏教では、物を所有するのを止めるべきであると説いています。言い換えると、私達はそうしたものから分離しなければいけないのです。仏教では、私達に属するものは何もなく、自分の命でさえ自分に属するものではないと教えています。自分の人生に訪れる物は全て、そして自分の全てですら、移ろう現実にしか過ぎないのです。
これを理解できないと、自分の命に執着心が沸き起こります。そして、執着心と共に喪失の恐怖がやってきます。喪失の恐怖は、悪循環を生むため、最も強い恐怖の一つです。何かに執着すればするほど、それを失うことを恐怖に感じます。そして、より強く恐怖を感じれば感じるほど、その物に執着するようになります。それそのもののありのままを認め、全ては無常であると受け入れることが、恐怖に対処するのに役立ちます。
逃避は決して選択肢に入らない
仏教では、何かを学ぶために間違いをおかすと言います。間違いにとらわれているだけだと、恐怖や不安を増長してしまいます。間違いをおかしても何も学ばなければ、おそらくおかした間違いを繰り返してしまいます。
恐怖に対処するためのこうした仏教の理念は全て、複雑なものです。しかし、忍耐と継続の心があれば、学ぶことはできます。仏教の考えは西洋社会の価値観と多くの形で衝突するために、多くの人にとっては適用するのが簡単ではありません。ですが、恐怖を頻繁に感じるようであれば、こうした仏教的考えについて更なるリサーチをしてみると良いかもしれません。
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- Uhlig, H. (2005). Buda y Jesús: los vencedores del miedo. Ellago.