『シカゴ』:名声の価値
『シカゴ』は、不朽のミュージカルです。何度も公演が行われ、映画にもなりました。ロブ・マーシャル監督の映画版は、オスカーで6部門を受賞しています。中でも代表的なのが、作品賞とキャサリン・ゼダ=ジョーンズの助演女優賞です。
映画は、非常に高評価で大成功でした。作品の中のミュージカルの曲は素晴らしく、キャバレーのような美しさがあり、観客を最初から魅了します。では、映画がどのようにできたかはご存知でしょうか?
映画版『シカゴ』はミュージカルを作り替えたもので、このミュージカルは新しい作品ではありません。実は、1926年、ジャーナリストのモウリン・ダラス・ワトキンスが書いた劇が元になっています。
ワトキンスはシカゴ・トリビューンで働いており、街を騒がせた殺人事件を取り扱っていました。当時、刺激的なジャーナリズムが影響を持ち始めており、この殺人は有名になりました。事件の的となったのは、ベルヴァ・ガートナーとビューラ・シェリフ・アナンで、2人とも愛人を殺害したのでした。
この劇が上演された後、映画版も作られました。これはサイレント映画でした。その後、今のミュージカルの『シカゴ』ができ、さらに映画版が作られました。ここでは、この映画版についてお話します。
1920年代のシカゴの女性
20年代のシカゴに戻ってみましょう。2つの世界大戦の間で、世界恐慌の前の時代です。ジャズやフラッパーが流行り、アメリカでは、女性が投票権を得たばかりでした。また、経済的に自立する女性も出始め、特にこのような女性にとってはたくさんの変化がありました。
さらに、女性の服装にも劇的な変化がありました。コルセットを外し、あまり体の曲線を強調しなくなりました。また、スカートや髪も短くなりました。女性の変化が非常に大きかったのが20年代なのです。
男性と同じようにお酒を飲みに出かけたり、喫煙したり、音楽を演奏したりする女性が出始めました。そして、女性の夢や希望は、家事をこなす完璧な女性でいることを超え、大きくなっていきました。しかしこれには難しいこともあり、まもなく抵抗にあう女性も出てきました。
『シカゴ』は、このような出来事をジャズのリズムにのせ、うまく表現した素晴らしいミュージカルです。主人公の2人は20年代の女性でそれぞれ別々に生きてきましたが、同じような夢や希望があり、刑務所の中で出会います。
ヴェルマ・ケリー
ヴェルマ・ケリーはシカゴのオニックスクラブのシンガー兼ダンサーです。妹ヴェロニカと共にショーに出演する有名人でした。姉妹はいつも一緒に出演し、2人のショーはシカゴの目玉になっていました。しかしある日、ヴェルマはパフォーマンスに遅れてやってきて、ヴェロニカ抜きで出演することになりました。そしてステージに上がっている時、妹と夫の殺人罪でヴェルマは逮捕されたのです。ヴェルマは2人がセックスをしているのを目撃し、2人を殺害したのでした。そして刑務所に入り、ロキシー・ハートと出会います。
ロキシー・ハート
ロキシー・ハートはシカゴに住む野心家の若い女性で、有名になることばかり考えています。夫エイモス・ハートのおかげで、何とかやり切っています。夫は優しい人ですが、あまり賢くはなく、大きな夢もありません。
一方でロキシーには、シカゴで一番人気のあるクラブで働き、有名になるという夢があります。この夢を叶えるためなら彼女は何でもします。そんな時、フレッド・ケイスリーに出会います。彼は一夜をともにするなら、ショーに出られるよう当たってみるとロキシーに約束します。
そして不倫が始まります。しかし、フレッドがロキシーに飽きてくると、実は、ロキシーと寝られるかどうかという賭けをしていて、実は彼女に興味もなく、コネもないということを白状しました。するとロキシーは怒り狂い、フレッドを銃で殺害してしまいました。これによりロキシーは刑務所に入り、ヴェルマ・ケリーと出会います。
「殺人がアートではないと誰が言った?」
-ロキシー・ハート、『シカゴ』-
『シカゴ』:真のシアター
当初、2人の仲はよくありませんでした。ロキシーはヴェルマに好意を持ち、何とか近づこうとします。一方で、ヴェルマは全く興味を示さず、ロキシーを完全に無視します。しかし、報道陣がロキシーのケースに興味を持ち始めると、2人の立場は逆転します。この注目により、ヴェルマ・ケリーは追いやられることになります。すると、ヴェルマは自分を無視するロキシーに近づこうとし始めます。
『シカゴ』は、有名になることの危険性とあまりに大きな野望を表した作品です。映画を見ると、2人の殺人犯の興味深い口論を見ることができます。2人とも弁護士にビリー・フリンをつけ、両者ともメディアで様々な成功を収め、どちらの裁判も街で非常に注目されるようになりました。ロキシーの夢は現実になろうとしています。そして彼女は有名になり、ヴェルマ・ケリーよりも一歩前に出ていきます。
「どんな宣伝もプラスになる」と言われるように、シカゴでは名声がすべてです。ロキシーは刑務所に入るまで、注目されることはありませんでした。しかし事件後、彼女はとても有名になりました。そのためロキシーは、刑務所を出たらたくさんのオファーを受け、ミュージカルの大スターになれると確信しました。ロキシーは殺人を自分の夢への入り口だと考えます。
一方で、ヴェルマは事件を起こした当時から有名でした。殺人の前から様々なところで注目されていましたが、ロキシーが流れをつかむと、ヴェルマは自身の流れを失い始めていると感じるようになりました。
報道
映画では、報道が非常に重要な役割を果たします。この作品を見ると、報道がもつ操作の力の大きさを目の当たりにするでしょう。場合によってはある人を好きになり、ある人を嫌ったりするように言うだけで、報道には物事を動かす力があるのです。私達は批評的ではなく、感覚論に流されてしまいます。『シカゴ』ではこれがはっきりと示されており、幼い女の子までもロキシー・ハートに憧れるようになるのです。
法律
映画の中では、公正に関しても同様のことが起こります。弁護士ビリー・フリンには道徳心がなく、敗訴したことがありません。依頼主が無罪か有罪かは、彼にとって問題ではありません。彼の目の前にあるのは、5000ドルのお金のみです。ビリーにとってこれは単なる劇で、彼は完全に自分の役を務めあげます。「女優達」を鍛え、自由にします。つまり罪のない人を死亡させ、犯罪者を釈放するのです。公正とは、すべての人にとって同義ではないということです。
お金
お金もこの映画で重要な役割を果たしています。お金を重要視しているのはビリー・フリンだけでなく、悪い刑務官ママ・モートンもいます。『シカゴ』に道徳心はありません。報道は「新たな血」となるニュースのみを求め、他はどうでもいいのです。さらに、これに関しては映画の中だけでなく、現実でも起こっていることです。このような例はたくさんあり、例えばチャールズ・マンソンも殺人から有名になった人物の一例です。
やがてロキシーやヴェルマは敵でいることにメリットがないと気づき始めます。そして、協力することでより多くを達成できると考えます。しかし、刺激的なジャーナリズムがいつもそうであるように、有名である時間は限られています。時間の問題で、新たな話題ができると人はすぐに忘れてしまうのです。映画では、名声、公正、お金、報道が私達の目を奪います。ジャズのリズムに乗って、これらが『シカゴ』の世界を創り出しているのです。
「これはすべてサーカスだ。裁判、全世界、そして、ショービジネス。3つの場のサーカスである。だけど、君は最大のスターと共に働いているんだよ」
-ビリー・フリン、『シカゴ』-