本当の恐怖:映画「ローズマリーの赤ちゃん」
「ローズマリーの赤ちゃん」は、映画監督ロマン・ポランスキーが手掛けた映画の中で最も知られている作品でしょう。この映画の人気には、2つの理由があります。1つ目は映画の質、そして2つ目はそのミステリーに視聴者が驚かされるということです。
この映画の舞台である建物は、十数年後にジョン・レノンが殺害されたことから有名になりました。
「ローズマリーの赤ちゃん」は、今も観る人にミステリーとホラーをもたらす映画です。また、ポランスキーが人生で向き合わなければならなかった法的問題から、非常に論争の多い映画のひとつでもあります。それでも、彼の映画のレガシーはこれからも残りつづけけるでしょう。
この映画の内容についてお話しましょう。若いカップル、変わった隣人、悲しい妊娠がこの映画のカギになります。ローズマリーと夫は家を見つけ、家族として生活しようとしています。ローズマリーの夫の家族への期待はあまりに大きく、結婚を理想とは違う方向へと進めます。
簡単に言うと、「ローズマリーの赤ちゃん」は、たくさんの罠、災難、閉所恐怖症などの合理性とファンタジーの間へと私達を連れ出します。これらが、このホラー映画が称賛される理由になっています。
不確かなもの:恐怖の大きなカギ
この映画は世界中で有名ですが、その土地の言語によって違うタイトルが成功と関係しているようです。例えば、スぺインでは、La Semilla del Diablo (悪魔のタネ) と呼ばれ、このタイトルは元のタイトルよりも内容を暗示しているようにも感じます。
しかし60年代にはネタバレは問題にならなかったため、当時映画に明示的な名前を付けることが基本だったのです。明示的ではあっても、この映画はヒスパニック系の人に恐怖を生み続けています。
また、この映画は不確かな旅へと私達を導き、絶対的に見る人に疑問を持たせます。見ている間、自分がような捕らわれたような不安にかられ、閉所恐怖症の気分を味わいます。それでも、合理的な部分がいつもほのかに存在し、思っているほど事態は悪くないのかもと思えることもあります。本当のところはどうなのでしょう?
不確かなものに関し、19世紀、エドガー・アラン・ポーの弟子であったペドロ・アントニオ・デ・アラルコンは、ポーのすばらしさは「合理的でありながら、ファンタジーを目指す」ところにあると言っています。
「映画は、見る人に映画館にいることを忘れさせるべきである」
-ロマン・ポランスキー-
この発言は本当に現実に即したものであり、数世紀たった今でも「ローズマリーの赤ちゃん」に当てはまります。また、不確かなもの、疑い、精神的恐怖がこの映画の基盤を作っていることは間違いありません。
ポランスキーは、観る人に現実とフィクションを同時に疑わせます。夢は単なる夢なのでしょうか、それとも現実が混ざっているのでしょうか?人によっては、それは完全な現実なのでしょうか? ローズマリーと隣人の間に何があったのでしょう? 視聴者は、画面に映し出されるものすべてに疑問をもちます。ここで、20世紀半ば、人の生活において、宗教が根本であったことを思い出しましょう。こう考えると、この映画は真の啓示であり、冒涜的でもあります。
しかし人が合理的で懐疑的になった21世紀半ばになっても、映画を観る人は数十年前と同じ疑問を抱きます。「ローズマリーの赤ちゃん」は、話が朽ちることがないことを示しています。信じられないかもしれませんが、この恐怖は観る人すべてに恐怖を与え、惑わせ続けています。
この映画では、不可能と可能、現実と非現実への疑いが、恐怖とサスペンスのカギになっています。この映画によってもたされる精神状態は独特です。独特の方法で視聴者の目線を動かし、独特のフレームである視点へと導きます。また、映画の中で時間の果たす役割を理解できなくなります。まとめると、知らないこと、不確かなものが人間の心に疑いをもたせるのです。
ポランスキーが悪魔のカルトを作ったのではありませんし、原作も彼ではありません。しかしポランスキーは、皆が知る出発点へと掘り下げました。カップルの関係を普通の恋愛映画とは反対に発展させたかったのです。この映画では一般の人の役が欠かせず、どんなに素晴らしく思えることでも、実は口先がうまいだけだというこのストーリーの意味を形成しているのです。
呪われた映画:「ローズマリーの赤ちゃん」
この映画の称賛と信仰の大部分が、映画にまつわる奇妙な出来事にあるでしょう。最初にも触れたように、映画はニューヨークのダコタ・ハウスで撮影されました。ここは非常に有名になり、有名人を含む多くの人が訪れています。
素晴らしいようですが、人々はポランスキーにここでの撮影を警告し続けたようです。自殺のような事件があったと言ったのです。また、彼の妻は一年後にまさにこの建物で殺害されています。サウンドトラックの作曲家クシシュトフ・コメダも、この後すぐに亡くなっています。さらにこの映画の主人公、ジョン・カサヴェテスさえもこの後亡くなっているのです。
ボリス・カーロフがこの建物に住んでいる間、心霊術を行っていたのではないかと疑う人もいます。そしてすでにお話したように映画の撮影の数年後、ジョンレノンもダコタ・ハウスの門の所で殺害されています。
ポランスキーの完璧主義への執念にまつわる謎はつきません。彼は俳優を過激な状況におくことも拒みませんでした。実際、ベジタリアンであった映画の主人公ミア・ファローは、道の向こうの即興シーンの撮影のため生の肉を食べさせられました。彼女の周りを走ったり止まっている車は、演出ではなく実際の映像です。
またこの映画の撮影中、この若い女優はフランク・シナトラから離婚届をつきつけられました。さらに、彼女は人々が示す敵意とも直面しなければなりませんでした。「ローズマリーの赤ちゃん」の呪いは、映画が向き合う問題からではなく、映画を取り巻く不愉快でミステリアスなできごとから来ているのです。
本当の恐怖
色々なことがありましたが、この映画の独特の恐怖はストーリーだけでなく、映画そのものにあります。時間を理解することができない恐怖に直面することがあるでしょうか? これが「ローズマリーの赤ちゃん」です。この映画では、表面下にあるものが問題になるのです。
つまりこの映画は万国共通の何かを示しています。閉所恐怖症、脅威、無力の雰囲気を映すために、様々なツールや材料が使われています。
映画の原作はアイラ・レヴィンの同名の小説です。この本を映画にする時、最終的にポランスキーが手掛けるまで、まず、ヒッチコックの手に渡り、ジェーン・フォンダがローズマリーを演じる予定でした。
映画全体の映像が美しく、驚くべき仕上がりになりました。また、ミニー・カスタベットを演じたルース・ゴードンはオスカーを受賞しています。
様々な変化があったにもかかわらず、ポランスキーは脚本を手掛け、現実とファンタジーに疑いをもたらす夢のようなストーリーでフロイト派を魅了することにも成功しました。
「ローズマリーの赤ちゃん」は、間違いなくホラー映画の歴史の中で最高の作品のひとつです。この映画が古くなることはなく、常に人の潜在意識へと訴えかけます。何か予想できないことが起こるのではないかと、観る人ははらはらさせられ続けるのです。