怒りについてのポジティブな言葉
怒りについて常にポジティブな言葉を持っておくことが、この感情が起こし得る被害のことを覚えておくのに大切です。これは絶対に怒ってはいけないということではありません。それは不可能です。しかし、この怒りの衝動に支配されないようにすることならできます。
怒りに関する言葉の多くは、それを感じるべきではないとは言いません。ただ怒りで自分を消耗させないようアドバイスをしています。コントロールできない怒りの結末は、たいていの場合とても悪いからです。
衝動的な怒りは、最初直接的な脅威や不満として現れます。私たちの育つ環境や教育が、これらの反応を和らげ、それを適切な反応へ変えるよう教えてくれます。しかし怒りの処理法はいくつになっても学べるのです。これから、それを行うのに役立つ怒りについてのお話をしていこうと思います。
「待って」と言っている怒りについての言葉
怒りを感じた時、発言をしてはいけません。何もしてはいけないのです。皆がいつも言うことなので、それはわかっていると思います。ですので、セネカの怒りの話を心に留めておくべきなのです。「怒りに対しては、先送りにすることだ。」反応する前に待つことほど、怒りの結末を避ける良い方法はありません。
トマス・ジェファーソンも似たようなことを言っています。彼のアドバイスは、「怒ったときは、話す前に10秒数えよう。とても怒ったときは、100まで数えよう。」です。これは素晴らしいアドバイスですね。
怒りは私たちを傷つける
怒りの最も悪い面の一つは、それが誰か他の人に向けられているにもかかわらず、怒っている人自身が結局傷ついてしまうということです。フローレンス・スコーヴェルが、彼女の発言の中でこのことを私たちに思い出させてくれます。「怒りは視覚を変えてしまう。それは血に毒を入れる。これは病気の原因であり大災害につながる意思決定だ。」
マーク・トウェインも同じような点を挙げています。彼は、「怒りは酸のようなものだ。注がれた相手よりも、容器に害が出てしまう。」と言っています。怒りはそれを感じる人を焦がしてしまいます。あなたの思考と気持ちを傷つけてしまうのです。それを他の人にぶつけることでその人にも影響がありますが、いつもあなた自身への影響の方が大きいのです。
怒りは私たちを制限する
ローレン・グネルは怒りについてのとてもシンプルですが的確な詩を書いています。「怒りは耳を聞こえなくさせ、人を絶望させ、目を見えなくする。」ほんとうに彼の言う通りです。怒っていると、脳が情報を処理するのをやめてしまいます。耳が聞こえなくなるのには理由があるのです。
これはダライ・ラマの怒りについての発言でも言われています。彼は以下のように指摘しています。「成功と失敗は知恵と知性にかかっている。それは怒りの影響下では適切に機能することは決してないのである。」
彼の指摘はとても明確です。私たちが怒っていると、はっきりと発言し成功する能力が制限されます。知っていることを忘れてしまい、理論的でなくなります。こういった状況でいい結果を導くことは不可能です。実際その反対の結果になるでしょう。要は、怒りに溺れることで怒りをぶちまけようとしているのです。
怒りは弱さと劣等感から来る
ダライ・ラマは怒りのような感情に対してとても率直な学者です。彼の発言にはこんなものもあります。「怒りは恐怖、弱さや劣等感から生まれる。勇気や決意があれば、恐れをだんだん感じなくなり、その結果不満や怒りを感じることも少なくなるのである。」
この発言の中には多くの知恵が詰まっています。このことから怒りは恐れから来るということがわかります。怒りは恐怖を感じたときに表れるのです。恐怖は客観的でも主観的でもありえます。しかし、いずれにしてもその人が劣等感を感じ、その恐怖に対峙できないのではないかと感じることを示しています。
なにか取り組まなければならない感情があるとすれば、それは怒りです。目標は、怒りに支配されて、何か衝動的なことをしてしまわないようにすることです。その結果はとても悪いことがよくあります。攻撃的な反応をすることが習慣化してしまうと、時間と共に嫌悪があなたを支配します。そして、気づかないうちに辛い孤独になってしまうのです。