愛に欠けた情緒年齢でとまっているとき

愛に欠けた情緒年齢でとまっているとき

最後の更新: 20 9月, 2018

愛が欠けていると、大きな傷を残す年齢があります。その傷があまりに深いと、愛に欠けた情動年齢で、時がとまってしまいます。言い換えると、愛情の欠如があなたの成長を止め、傷が癒えるまで前に進めなくします。

「成熟した」という概念は、まさに単なる概念です。実際、自分の中にはいくつもの年齢が混在します。高いものもあれば、低いものもあります。大人の知恵で問題に対処し、同時に、子どものように喜び、楽しむことができるのはそのためです。

ある年齢で、時が止まってしまうことがあります。その問題を解決しなければ、愛に欠けた情緒年齢から成長することができません。

場合によっては、その根が幼少期まで遡ることもあります。実年齢は進んでいても、心は、傷つき、恐れた子どもの情動年齢で止まっているのです。

「私は、原因ばかり書き、効果に言及していないのだろうか?私は失われていた何かの物語を書いているかもしれないが、それは物語が欠けているという意味ではない。」

-訳 アンドレス・リベラ-

 

愛に欠けた最初の情緒年齢

幼い頃は、経験のすべてが大きな刺激です。それが基礎となり、自分ができ、将来が見えてきます。大きくなったからといって、愛情が必要ないというわけではありません。ただ、幼い頃、若い頃に、より大きな愛が絶対的に必要です。

1~2歳の子どもが愛を受けられない場合、信頼を失います。子どもは、親や養育者が自分を世話してくれ、ニーズを満たすと信じています。

それが満たされない場合、または、満たされても攻撃的・拒絶的である場合があります。そうなると、子どもは人を信じることに抵抗を覚えます。自分を信じることさえ難しくなります。

大人と子ども

 

愛情の欠如と自立・成長

2~3歳になると、子どもは自立へ向けて成長します。トイレの練習もそのひとつです。

親や養育者は愛情をこめ、せかすことなく自立を促します。子供の発達や学習能力以上のものを要求したりしません。

また、自分でできることは自分でさせ、成長の過程を止めることはしません。愛は依存となるべきではなく、子供の自立が放棄へとつながるべきでもありません。

一般的に、子どもは3~6歳で自立へ向けた道を歩むようになります。人はそれぞれ異なるため、決まった年齢や日はありませんが、ここから、世界を探索し始めます。

愛情豊かに育った子どもは、怖がることなくこの旅に出ます。逆に愛情が足りていなかった場合、例えそこに危険や恐ろしいものがなくても、恐怖や不快感を覚えるでしょう。

学校へ通う年齢になると、子どもは愛や努力について学びます。ただし、これは愛のあるサポートが得られる場合です。そうでなければ、劣等感を感じながら学校へ通うことになります

愛に欠けた情動年齢

大人になってからの影響

大人になり、自分の特定の特徴に気付き、それがどこから来たか分からない時、自分が愛に欠けた情緒年齢で止まっていることに気付きます。それを変えたほうがいいと分かっていながらも、変えることができません。その特徴には次のようなものがあります:

  • 不安、臆病、恐怖心
  • 自分のしたいこと、感情の表現、自己の再認識が難しい
  • 希望より恐怖が大きく、目標を立てたり、それを目指すことが難しい
  • 恋愛を含め、何においても受動的
  • 物事を楽しめない

どうしたら良いでしょう?愛情の欠如からくる傷は癒すことができますが、放置しておいて癒えるものではありません。働きかけが必要です。愛に欠けた子どもは自分を表現する方法を探しています。カウンセラーと話をしたり、書き出したり、自分がどう感じているか、内なる子どもに表現させましょう。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。