いるのは害のある人ではなく害のある姿勢
「害のある人」という考え方がかなり広まっています。形容詞の「害のある」という単語を、他の人と問題がある人誰にでも使っている人がいるようです。しかし、これは不寛容を育てるだけです。「害のある人」は本当は存在しないということを明確にしておくべきです。本当に存在するのは、害のあるふるまいです。
「いい」とか「悪い」という一般的な分類に人は分けられるべきではありません。「害のある」というネガティブなレッテルは誰にも貼り付けるべきではありません。人は人生と同じで常に変わり続けます。誰だって、悪いあるいは破滅的なふるまいをしてしまう時があります。
このような状態から長い間出てこれない場合もあります。しかし、だからと言ってわたしたちが遺伝的に害がある人間だということではありません。害のある人はいません。その単語を誰かの人格を説明するのに使ってはいけません。
「あなたの成功を喜べない人とは一緒にいるべきではない。」
-バーナード・ステマティス-
誰だって害のあるふるまいをすることがあります。だからと言って、一生そういう風であるという意味ではありません。自分のふるまいは方向を転換することができ、もっと建設的なものに変えることができます。
伝染病のように避けるべきものではありません。あなた(あるいは誰か)に問題があるということを意味するだけです。自分自身や他人に及ぼしているダメージに気づけないままになっているのです。
害のあるふるまいとは?
害のあるふるまいは、不安と低い自尊心を隠すためのものです。同時に、自己愛の欠落を補うための自己陶酔的な特徴が見られます。さらに、誤った思い込みが共に起こる傾向にあります。この思い込みは、そのようなふるまいを正当化する誤った意味を持ってしまいます。
害のあるふるまいの主な特徴を見てみましょう。
- コントロールしたいという欲求。愛する人をコントロールしたいという強い欲求を感じます。その人のすべてを知りたがります。その人の在り方や行動に常に影響を及ぼしたいという興味を見せます。
- 感情的操作を利用。害のあるふるまいは脅しが関わってきます。自分の求めることを得るために脅しを利用します。
- 他人のせいにしてその人たちをけなす。害のあるふるまいは、他人の間違いや欠陥を指摘します。害のあるふるまいをしている人は、個人的な責任を避け、他人を責めます。
- 嫉妬やねたみ。他人の成功を喜べないのも害のあるふるまいです。他人の自立や達成を脅威として認識します。
害のあるふるまいにどのように対処すべきか?
害のあるふるまいを一般化することはできません。上記の特徴のいくつかを見せている誰にでも当てはまります。常に、度合い、レベル、社会的文脈が関わってきます。
害のあるふるまいがかなり根深いと、距離を置くしかありません。しかし、その人を孤立させるということではありません。あなたが距離を置く理由が彼らの破滅的なふるまいであるということをわからせることが重要です。
人間関係には対立が付き物です。バランスを見つけることは可能ですが、自然には起こりません。一般的に、たくさんの浮き沈みを乗り越えてバランスを得ます。
空虚感、破局、矛盾など、誰でも人間関係に何かしら重荷を持ち込みます。すべてを避けることはあまり合理的ではありません。出来ることはうまくコントロールしてバランスを取ることです。
お互いの中間点を見つけるには話し合いがベストな方法です。自分が害のあるふるまいをしていないとき、他人の中の害のあるふるまいを見ることができます。コントロールや操作しようとする試みを制限することもできます。それを許してしまったり黙っているだけでは、その破滅的な理論に則っていることになります。
害のあるふるまいをしている人を助ける一番いい方法は、そうすることを許さないことです。すべての人間関係には、明確または暗黙のルールがあります。操作、軽蔑、その他の他人を見下したり利用したりする行動を許してはいけません。最後に、私たちが無くしたいのは「害のある人」ではなく害のあるふるまいだということを忘れないでください。