ジュリアン:モンスターは存在する
2月、映画監督グザヴィエ・ルグランの初作、女性に対する暴力を映した映画、「ジュリアン(Jusqu’à la garde)」が、第44回セザール賞をフランスで受賞しました。この映画では、非常に深刻な問題が見事に描かれており、受賞は驚くべきことではありませんでした。
初めのシーンで、カップルが親権に関する詳細を話し合っている場面があります。これは、ありきたりな始まりのようですが、最初の瞬間から終わりまであなたはルグランに引き込まれるでしょう。
ジュリアンは、モンスターが存在すること、また、私達の中にいることを示します。彼らは、暗い角にいるのでもなく、クローゼットの中にいるのでもありません。家族の中にいるのです。
モンスターとの共同親権
離婚と親権を監督する裁判官の目線で、この話は語られます。このケースで何が起こっているか完全に理解するのは容易ではありません。その中にも、父親の母親に対する暴力的行為など重要な要素には明らかなものもあるようです。しかし、このケースでは、どれもはっきりとせず、裁判官は迷います。
ミリアムの弁護士は、夫は所有欲が強く、暴力的だと主張します。一方で、アントワーヌの弁護士は、その申し立てを否定し、(レア・ドリュッケール演じる)ミリアムがアントワーヌに子どもへの愛を示してもらいたくないというのは異常だと主張します。
部屋には、父親と時間を過ごしたくないと懇願する子どもの証言が響きます。裁判官は両親を観察し、子どもをそう決断させたサインやジェスチャーをとらえようとします。
母親の弁護士は父親の真の性格の証拠を見つけることに苦労します。状況に合わせ、態度を変えることを虐待者は得意としているのです。
裁判官が共同親権を宣言すると、あなたも危険が差し迫っていることを感じるでしょう。その後、幼い息子ジュリアンを演じるトーマス・ジオリアが、暴力、抑圧、不安を見事に表現します。
共同親権の地獄
(ドゥニ・メノーシェ演じる)父親が親権を得た瞬間から、緊張が走ります。子どもの恐怖の顔をアップにしたシーンもあります。また、言葉のない会話には、息も止まります。
ジュリアンの表情と表現が彼の生活と感情を語ります。映画にサウンドトラックはなく、生活音が脅威へと変わります。ここでは、虐待された多くの女性が、ドアに鍵がささる音にさえ恐怖を感じることが表現されています。
疑わしい科学的根拠にもとづいた診断「親の引き離し」ではないことに、視聴者もすぐに気づきます。邪悪なナルシスト、アントワーヌが誤解されているようにみえる場面もあります。実際、単に家族を愛することで被害者になっているようにも見えます。
「ジュリアン」はモンスターの存在を描く
家族は誰もアントワーヌの行動を信じません。和解は後悔から生じたものではないと分かっています。彼は状況をコントロールしようとしているのです。ルグランの素晴らしい方向性にこの映画のパワーがあります。恐怖と少しゆがんだ希望の両方にあなたも目が離せなくなるでしょう。
父親の緊張と不満がたまり、激しいシーンがくることは予想できます。アントワーヌは共同親権の合意から自分の欲するものを得られません。彼の目的は子どもと時間を共にすることではなく、恐怖にかられ、彼が来るのを避けるために嘘をつき隠れる前妻に近づくことなのです。
幼い息子を威圧し、妻に近づくという方法はうまくいきません。不満は大きくなり、彼の怒りは明らかです。暴力的爆発が近づいているのを感じます。
そして、ドアのベルが鳴り、恐ろしい音は続きます。シーンは親権が言い渡された部屋へと戻ります。何が起こるかは分かりませんが、何か悪いことが起こるのを感じるでしょう。
社会の責任
話は、惨事へと向かい進んでいきます。母親はドアのベルが止むことを願います。そこに誰が立っており、その人が長い間ベルを鳴らすことは分かっています。ただ、いつかいなくなることを母親は願います。
ベルは止みますが、他の音が聞こえ始めます。今度は、アントワーヌは止めません。映画のラストシーンは恐ろしいものです。特別な効果や演出はいりません。アントワーヌはもはや人間ではないようです。プライドとリベンジで前が見えなくなったモンスターです。
シーンはとてもリアルで、あなたも母親と息子にあなたも共感するでしょう。隣人は助けを求め電話をかけ、警察はそれに答え、最善を尽くします。
モンスターは私達の中にいるのです。もしかしたら、名字があなたと同じかもしれません。それはとてもつらいことです。
これは、認知行動療法で闘えるものではありません。教育、共感、団結、正義、介入とともにモンスターと闘います。私達はこのようなモンスターに対し、コミュニティーが行動をおこすよう見守る責任があります。ジュリアンのぞっとする物語が現実にならないよう、自分を教育しましょう。