心に潜むモンスター

心に潜むモンスター
Valeria Sabater

によって書かれ、確認されています。 心理学者 Valeria Sabater.

最後の更新: 21 12月, 2022

子どもの頃、モンスターは物語の中にだけ存在すると言われてきました。モンスターは本当は人であり、日中も歩き回っているとは、誰も言いませんでした。初めは、素敵な人でも、後にあなたや家族をいじめ、最後にはあなたの自尊心を切り刻んでしまう人がいます。子どもへの愛を拒む親がいます。罪のない命を奪うテロリスト、必要のない戦争を始める政治家がいます。

ひとつだけ、誰もが知っていることがあるとすれば、それは、言葉は重要だということです。私たちは、全く真実ではないものにもレッテルを張ります。例えば、「モンスター」という言葉には、架空と文字通りの両方の意味があります。しかし、私たちが説明できない真の悪と考える行為を表現するのに、この言葉が利用できることに代わりはありません。

「モンスターと闘う人がモンスターにならないように、自分の身を守らせよう。」

-ニーチェ-

この考えに科学的根拠がないことは、ここで記しておかなければなりません。「悪やモンスターとの接見法」という本や内容はどこにもありません。彼らを見分けるのに役立つマニュアルはありません。しかし、私達の考える「人間性」を完全に破るような行為を表現できる言葉は、他にはあまり見当たらないのではないでしょうか?

最初に警察により「モンスター」という表現が使われたのは、1790年のロンドンだと犯罪心理学の専門家は言います。当局は、それまで対峙したことのないような殺人犯を探していました。約2年間もロンドン近郊をパニックに陥れた、陰湿で得体のしれない事件です。もちろん、切り裂きジャックのことです。

殺人

 

血と肉のモンスター、人間性にかけた人

「モンスター」という言葉には、元の意味も残っています。超自然と悪が合わさって、私達に危害を与えるということです。これを人に当てはめる時、私たちがしているのは、その人から人間性を取り払って考えることです

この記事の初めに、この言葉の使用は科学的根拠のない単なるレッテルだと言いました。ところが、犯罪履歴を作る専門家は、時折この間違いを犯しました。例えば、1970年代アメリカのテッド・バンディーに起きたことがそうです。

犯罪の世界で、バンディーは歴史上で最も残酷な連続殺人犯です。面会の中で、彼は100人の女性を殺したと言いました。彼の冷酷さから、犠牲者の遺体は36体しか発見されなかったにもかかわらず、当局は彼の言葉を信じたのです。

バンディーは一見、華麗で立派な人のように見えました。法と心理学を専攻し、意欲的な政治家で、地域の活動にもよく参加していました。彼は完璧な勝者の見本であり、人生の成功者のように見えました。

テッド・バンディー

しかし、何人もの大学生が次々と行方不明になった後、テッド・バンディーは、理解不能な野蛮な行為の数々を隠していたことが分かりました。残酷な殺人に、当局は言葉を失いました。彼が「モンスター」と呼ばれたのは、彼の犯した残虐な行為、そして、彼が受けた数々の心理検査の複雑な結果からでした。

バンディーは、精神病者、薬物依存、アルコール依存症ではないと結論づけられました精神疾患や脳の損傷を受けたこともありません。テッド・バンディーは、ただ悪の遂行を楽しんでいたのです。

 

モンスターは私達の心の中にも存在する

この世の中は、ピーテル・ブリューゲルの不穏な絵のようだと言うことは、誰もが知っているでしょう。彼の絵には、街や通りの人々の噂、群衆の日々の生活の中に悪が隠されています。しかし、私達に危害を与えるモンスターは私達の周囲に住むだけではありません。より頻繁に見つかるのが、私達の心の中です

恐怖、感情、思考が、とても暗い場所に閉じ込められていることがあります。迷子になり、自分の悪魔により首を絞められる場所です。自分のモンスターと出会う旅をうまく表現した作家がたくさんいます。モンスターを知り、打ち勝つ努力をし、また表に出て、鎖を外そうとするのです。

ダンテは、神曲のバージルで、ルイス・キャロルは、アリスで、モーリス・センダックは「かいじゅうたちのいるところ」でそれを表現しました。

センダックは、児童文学の小さな宝石です。彼の物語は、年齢や生い立ちを問わず、様々な影響を与えてくれます。誰もがどこかで、モンスターが奇妙な場所へと私達を連れ込む「内爪」の犠牲者になりえます。

マックスが、オオカミの着ぐるみを着ていたずらをしたいという思いを抑えきれないでいると、お母さんに「この かいじゅう!」と呼ばれ、マックスは「おまえを たべちゃうぞ」と答えた

「かいじゅうたちのいるところ」-モーリス・センダック-

かいじゅうたちのいるところ

 

かいじゅうの国

この短い本の中で、私達は子どもの手をとり旅に出ます。変わった生き物が住む、荒々しくシュールな王国を私達は時々訪れるべきだということをこの冒険が思い起こしてくれます。ただ、そこに留まるのではなく、そこを迂回しなければなりません。ただし、ルールはなしに、自分の叫びや怒り、笑い、涙を流すなど、モンスターに打ち勝つのに必要な何かをした後でなければなりません。

かいじゅうの国に足跡と錆びた王冠を残し、私たちはまた這い上がります。暗闇への降下から解き放たれます。浄化され、気分良く、人生に戻ることで強くなります。子どもの頃、彼らが言ったモンスターは本当に存在します。「天使」の恰好をした身近なモンスターをいつもコントロールすることはできません。しかし、時々、心の中にあらわれるモンスターと闘えるよう、勇敢になりましょう


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