強迫観念と闘う
およそ50人に1人が強迫観念に悩まされています。悩んでいる人が、それを隠す傾向にあるのも特徴の一つです。ある一つの考えにはまったり、それが頭から離れないのが強迫観念です。異常に心配になったり、衝動的であったり、どうしようもない考えも多くあります。無駄に悩んでしまうのです。
ついてない日は誰にでもあり、口論やある状況により一日の気分が下がることがあります。同じことを一日中考えてしまい、こうすべきだったなど別の対応を考え悔やみます。何をしていても、そのことばかり考えてしまいます。今更どうしようもない状況であっても、同じ考えが何度も何度も頭を巡り、考えるのを「止めたいけど止められない」状態に陥ります。これが強迫観念です。
心の病としての強迫観念
時々、強迫観念をもつことは誰にでもあります。ただ、それは病気というレベルではなく、問題と認識する必要もないほどの考えです。しかし、人によっては、この強迫観念が人生を変えてしまうほど大きな心の問題になります。さらに、彼らはこれを隠す傾向にあります。自分は奇妙で醜い考えをもっているとは認めにくいものだからです。
強迫観念は彼らに繰り返しつきまといます。無駄だと分かっていながら無駄な心配をし、強迫観念が重くのしかかります。「自分は非良心的または違法、重罪になるようなことをしているのだろうか」という強迫観念はよくみられるものです。
強迫観念の原因
強迫観念の理由は様々で、いくつかの要因が組み合わさり生じます。特に、将来に関し先が見えないことは原因になりやすいものの一つです。将来何が起こるか知りたいと思い、明日、自分の身に悲劇が起こらないと知っておきたいのです。コントロールできないものをコントロールしたいのですが、それは不可能です。毎日、予期せぬことが起こるものです。
もう一つ強迫観念の原因になりやすいものに、不安への耐性が低いことがあります。私達は、刺激や情報であふれ、常に走り続ける世界に生きています。いつも忙しく過ごさなければなりません。これらが、ストレスや不安の原因になります。体は備えができていますが、心がついていけません。緊張を伴う何かが頭に浮かぶとき、人はそれから逃れようとし鎮めようとします。それについて落ち着いて考えようとしないのです。
最後に、もう一つの理由は「それも恐ろしい」というものです。これは、どんな挑戦も「恐ろしい」と考えてしまうことです。私達は、自分が世界の中心だと考え、少しつまずくと世界の終わりだと思いがちです。問題を過大視することが、強迫観念をもつことにつながっています。これらの三つの理由は主なもので、理由は他にもあります。例えば、恥や笑われることに対する恐れが大きくなったり、迷信的な考えです。
強迫観念に襲われたとき
強迫観念は特徴的なもので、それを理解すれば、ネガティブな影響を減らすことが可能です。これらの考えを捨てる、または、その力を軽減し気にしなくなります。薬物に頼らず、強迫観念から解放されることは可能です。そのための方法はいくつかあります。
まず、不安への耐性をつけることです。不安にうまく対処できるようになると、不安に襲われても平気でいられます。不安に慣れましょう。また、不確かなことにも向き合う必要があります。予想不可能なことに悩まされずに過ごせるようにならなければいけません。
そして、「無駄話」は重要でないことに気付きましょう。私達の抱える問題の多くはさほど重要ではありません。問題があれば、それを長い目で見て、正しい場所に置きかえましょう。まず、自分を認めることが大切です。こうあるべきという「完璧」な自己像は現実的ではありません。不完全さを認めましょう。これが、強迫観念を放し、無駄な考えを止めることにつながります。最後に、「恐ろし過ぎることは何もない」と頭に入れておきましょう。