ムーラン:女性の素晴らしい模範
ムーランは、中国のファ・ムーランの伝説をモデルにしたディズニー映画です。この映画は高い評価を得ており、ヒット作となりました。そして長年にわたり本当の名作になっているのです。
ファ・ムーランは、元軍人で今は体調を崩しているファ・ズーの一人娘です。ある日ムーランは家族に名誉をもたらすためにお見合いに行かなければならなくなりました。みんなお見合いがどうなるかについて緊張しています。当時の女性は、いい夫と一緒になり家族に名誉をもたらすのを切に待っていたからです。
家族の価値と良い主婦としての女性の役割が、社会の中に深く根付いており、ムーランにも大きなプレッシャーがかかります。しかしムーランは心の準備ができていないと感じています。彼女には別の望みや希望があったのです。すべてが大惨事に向かっており、ムーランは家族を辱め、社会に適合しないことに罪悪感を感じています。
同時に、中国の軍隊がフン族との戦争に向かっていました。そして皇帝は各家族から一人戦争に行って戦うよう命じたのです。ムーランの家族の唯一の男性は父親です。ですので、父親が国のために尽くしにいかなければならないのです。
ムーランはこの考えに反対し、父はすでに病気であったため、もし父が行ってしまったら絶対に生きて帰ってこられないということがわかっていました。そこでムーランは過激な決心をします。男の変装をし、家を出て、軍隊に入ることにしたのです。
ムーランの名誉と義務
伝統的な家族の価値観では、男性がヒーローで、女性は二番目に位置付けられていました。これらのルールはしっかりと確立されていますが、ムーランはそれに完全にはあてはまらないようです。
彼女がお見合いに行ったとき、若い女性が全てのルールに従い、夫を見つけることにわくわくしているようでした。一方でムーランはぎりぎりになって支度をし、言うべきことについての「カンニング用紙」を用意している有様です。
ムーランはどうしたらいいのか全く分かりませんでした。家族に名誉をもたらさなければいけないことはわかっていて、両親に名誉を持ち帰りたいと思っています。しかし、お見合いで何もかもがうまくいかなくて、ムーランは自分の本当の義務とは何なのかを考え直すようになります。
最終的に、ムーランは全てのルールを破ります。伝統を壊し、父親の代わりに軍隊に加わることにするのです。それは父親のためだけではなく、自分自身のためにそうしたのです。ムーランは社会の中で自分の居場所を探さなければなりませんでした。また、自分には価値があり、その価値は単なる見本のような妻になること以上のものだということを、自分自身に証明しなければならなかったのです。
剣の象徴するもの
ムーランが男装しようと決めたとき、とても象徴的なことが起こります。自分の髪を、父親の剣で切ったのです。この些細なことは簡単に見過ごされてしまうでしょう。これはムーランの変化の一部で、新しい冒険の始まりとしか思われないかもしれません。しかし、その裏には別のものがあります。髪と剣の両方には象徴的な意味がたくさん含まれているのです。
神話について考えると、剣はいつも名誉と関係があるのがわかるでしょう。剣は「男性」と関係があるのです。それは勝利や個人的成長、戦闘での名誉などを表しています。素晴らしい騎士は皆、戦いで勝利した時の剣を下げています。ムーランが使った剣は、父親の物でした。これは彼がファ家に名誉をもたらした剣だったのです。そしてムーランはその剣を取り、自分の髪をそれで切りました。
髪の象徴するもの
髪にもまた名誉に関係した象徴が隠れています。 サムソンについて考えてみましょう。彼の髪は強さと名誉を象徴しています。さらに、長い髪は女性性にも関係があります。
「わがシッドの歌」では、エル・シッドのひげが彼の名誉を表しており、戦いに勝てば勝つほど彼のひげが伸びるのです。ですので、ムーランの皇帝にはとても素晴らしい白いひげがあるのです。それは皇帝の持つ知恵と素晴らしい名誉の象徴なので、コミュニティの中で最も長いひげを持っているのです。
今のムーランは失敗者です。家族と自分自身に泥を塗ってしまったのです。ですので、自分の髪を切り、それを父親のかつては名誉を表した剣を使って行ったのです。ムーランは最終的には中国を救い、軍隊から戻ってきます。そしてあの剣と皇帝からもらったほかのものを父親に捧げます。つまり、ムーランは家族に名誉を持ち帰ったのです。
ムーランの中の女性
これまで見てきたように、ムーランは典型的な女性キャラクターとは全く違っていて、ディズニーでは見たことのないものでした。彼女は反逆者で、ルールを定義する女性なのです。やろうと決めたことはなんでもできるのだということを、彼女は教えてくれます。女性より男性の方が価値があるということはないのです。
皇帝が人々に助けを求めたとき、各家族から一人の男性しか求めませんでした。そして、その男性が弱っているとしても女性が代わりになることはできないということを明確にしていました。ムーランはこれをフェアではないと考えたのです。彼女は若く、今の状態の父親よりも中国のために貢献できます。父親だとその健康状態のために絶対に生き残ることはできないでしょう。
ムーランにとって、最初は困難が待っていました。しかし、すぐに障害物を乗り越え、他の兵隊から尊敬と承認を得ることになります。ところがまもなくして彼女が女性だということがみんなにばれてしまいます。彼女に助けられたことがあり、彼女は有能な兵士であることを証明してきたにもかかわらず、それを単に受け入れられないという人もいました。
男性の世界の中の女性
映画の中には、女性が男性の世界にいることがいかに難しいことかを表しているシーンがいくつかあります。多くの男性が女性に耳を貸さず、「男の人の前では黙っているように」と言われてさえいます。「女は女であるために全く価値が無いのだ」と。
逆境にもかかわらず、ムーランはヒロインになります。彼女は全ての先入観をうち破って、国を救い、女性だからといって全く劣ってなどいないことを証明します。私たちは彼女の中のビフォーアフターを見ることができます。最初に見た若くのんきなムーランはいなくなりました。今や男性と全く同じように、強く勇気があるということを自分に証明して見せたのです。
「フェミニストとは、女性と男性の両方に平等で完全な人間性を見出す人のことである。」
―グロリア・スタイネム―
ムーランは、キャンプに到着し生き残った人が誰もいないのを見るまで、戦争がいかに深刻なものかがおそらくわかっていませんでした。そこで、ムーランは自分がなくした人形を見つけます。その人形は、彼女が置き去りにしてきた女性らしく子どもっぽい自分を象徴しています。人形との出会いは彼女自身、本当の彼女との出会いでもありました。それはまた、無邪気さの終わりと、成熟への一歩を表しているのです。
ムーランはプリンセスではありませんし、この映画では美しさについて語られていません。彼女は典型的なディズニープリンセスとは全く違うのです。ムーランが表しているのは、夢や希望を持った普通の女性です。そして、男性に全く劣っていないということを示し、それを乗り越えたいと思っている女性の代表なのです。
「男性のいない女性は、自転車のない魚のようなものだ。」
―グロリア・スタイネム―