なぜ自分は他人の苦しみに無神経なのか

なぜ自分は他人の苦しみに無神経なのか

最後の更新: 23 11月, 2018

どんな動物の種も、仲間の痛みや苦しみに敏感になる能力を持っています。多くの場合、結束は種の生き残りを保証してくれるため、遺伝子コードに組み込まれているのです。それでは、なぜ他の人に対して無神経な人がいるのでしょうか。外的なものすべてに対して自分を感情的にシャットアウトしてしまうのはなぜでしょうか。なぜ人は無神経になるのでしょうか。

このような質問には、たくさんの答えがあります。無神経さの理由は、深刻な病気からかなり傷つきやすい状況にあることなど様々です。無神経になってしまう道はたくさん存在し、様々な方法で現れます。

「不可能を望み、他の人の不幸を全く考慮しないことは、精神の魂の深刻な病気である。」
-プリエネのビアス-

一般的に、無神経さはすべてに適用されるわけではありません。つまり、障害となる精神の病気がない限り、人は完全に無神経になることはないということです。度合いは様々で、目的や状況も異なります。別の言葉で言えば、誰かの痛みに完全に無神経でいられる一方で、他人の痛みにより敏感になることもあるということです。

無関心の原因と現われ

人通りの多い通りに住んでいる場合、常に騒音が聞こえる可能性はかなり高いです。もちろん、とても孤立した家に住んでいない限りです。その騒音に慣れていなかったら、騒音が聞こえる度に気分を害するかもしれません。しかし、しばらくすると全く逆のことが起こります。騒音に意識することをやめるようになるのです。そもそも、完全な沈黙を不快に思うようになることさえあるかもしれません。つまり、騒音に対して無神経になるのです。

クジラ

全く同じではないですが、似たようなことが感情の世界でも起こりえます。感情的な苦しみを経験した人は、もっと共感的で他人の痛みに敏感です。しかし、反対の効果も起こりえます。もし痛みが限界を超えたり、極度の脆弱状態の中で起こった場合です。この時人は無神経になります。

気になる部分は、この逆の現象が起こった場合です。苦しみを経験していない人、あるいは限られた程度の苦しみしか経験していない人は、無神経になってしまいます。感情的な意味や価値を他人の苦しみに見いだせなくなるのです。彼らの共感の能力は発達しておらず、感情的な無知を見せるようになります。この無知によって、他人の苦しみや喜びに対する連帯が欠落します。無神経さはネガティブな感情に影響するだけではないからです。

他人の苦しみに無神経な人は、様々な形でその無神経さを見せます。他人のニーズや助けに対して無関心なだけではありません。他の人間すべてをただの生命体として認識しするようなふるまいを見せます。

敏感で同時に無関心な時

よくあることは、同時に敏感で無神経になるということです。通常はとても共感的で敏感な人に、無神経の時期が見られることもあります。これが起こるには様々な要因が関係しています。誰かが大きな悲しみを経験した時、感情的なエネルギーが感じられなくなるかもしれません。他の人を気にかけたり、仲間の苦しみと共感することができないかもしれないということです。

憂鬱

こころから苦しみを恐れている人もいます。気づかずして、感情を感じないための戦法、メカニズム、方法を構築していきます。何かの中毒になるのはこの一つの例です。

向精神薬を摂取することは、他人の苦しみに対して無神経の壁を築かせます。これは絶縁体として機能する泡のようです。極端に厳しい性格を構築し育てることも、無神経になるための戦法です。自分の感情を厳しくコントロールして、エネルギーを消耗しないようにしているのです。

ひとりに対して敏感になることは、みんなに対して敏感になること

エーリヒ・フロムは、愛と連帯はうそがない時普遍的であるとしています。彼によれば、一人の人間を愛するとき、すべての人類を愛します。この主張からの類推で、ひとつだけというのはそもそも不可能であると言えます。同時にみんなの痛みに敏感にならずして、1人の人の苦しみに敏感になることはできません。 様々な度合いがありますが、大抵そういうものです。

敏感になってもらえないことは、私たちの精神に影響します。しかし、この影響を強く受ける人は、自分自身が敏感さがなかったり敏感さを見せない人です。連帯に対する傾向は、自然の気まぐれではありません。私たちの遺伝子コードに、生き残りの保証として組み込まれた情報です。助けて助けられることは、人生、つまり私たち自身が生きるために使用する戦略なのです。

乾燥

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  • Otero, J. (1999). Alexitimia, una revisión. Revista de La Asociación Española de NeuropsiquiatríaXIX(72), 587–596.
  • Navarro, Marisa (2015) La medicina emocional. Debate

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