パブロ・ネルーダと静寂:優しさと繋がる芸術
チリの詩人パブロ・ネルーダの「静寂」はこれまで執筆された中で最も美しい詩の一つだと言えるでしょう。その中で、彼は私たちに静寂を楽しむことを勧め、自然の一部になることも説いています。また、これは本質と出会うことでもあり、そうすることで全ての人が優しさと尊敬を持つことが出来るのです。そして、物事が本来存在すべき場所へ落ち着くのです。
この静寂、または沈黙という考えは心理学のテーマの一つでしょう。しかし、芸術や文学の世界でもこの考えを高く評価していることを忘れてはいけません。フランスの作曲家クロード・ドビュッシーは、静寂は全ての物事の間に存在し、一つ一つの音楽に多大な力と美しさを与えるものだと述べました。
さらに、アルゼンチンの作家、詩人、作曲家であるホルヘ・ルイス・ボルヘスも、静寂や沈黙の美しさや深みがどれほど彼の詩の中で際立っているのかを説明しました。そして、静寂はあなたが誰なのか、そして何を愛しているのかを思い出させてくれるものだと述べたのです。しかし、こういった詩的、音楽的作品の中でも、ネルーダが「静寂」という詩に込めたメッセージが特別なのには理由があります。それは、動くのを止めて、心のギアがギシギシ動くのも止めて、空虚や物事の人工的な意味について考えることへの招待状です。彼は私たちに何が最も重要なのか思い出してほしかったのです。
静寂は良い師である
一般的に言うと、自然が空白を嫌い木々でスペースを埋めるように、私達も静寂を嫌います。静寂は私達に創造性を与えてくれますが、同時に不安や心配の渦へ誘うことがあります。私たちだけでなく、私たちの住む街も静寂には慣れていません。車の機械的な音や終わらない工事の音、常に営業している店に眠らない業界など、静寂は存在しないのです。
しかし、私達は静寂が持つ力を忘れています。静寂は私達に多くを教え、失っていた考えを識別して養ってさえくれます。この詩の中で、どの言語を話すかに関係なくグループとして考察することの大切さを彼は説いています。たまに子どもと行うように、ただ数を数えて静寂を感じるべきだと彼は説明したのです。
また、今こそ1秒でも全てを止め、静寂という今まで居心地の悪かった領域に浸かるべき時だと言ったのです。もしかすると、静寂はあなたに落ち着きを、またはドビュッシーが述べたように美しさや力を与え、この人生で、そしてこの世界で自分が何をしているのかということを思い出させてくれるかもしれません。
「静寂」という詩
12まで数えて静寂を保つ
地球に顔を向けて
何の言葉も発さず
1秒だけ止める
腕を動かすのも止める
それは不思議な瞬間だろう
急ぐこともない エンジンも必要ない
そして私達は皆
突然の奇妙を体験する
冷たい海の漁師は
クジラを傷つけないだろう
そして彼は手の傷を見ることなく
塩を集める
ガスの戦争 火の戦争
自然の戦争に備える者
そして生存者のいない勝利
綺麗な服を着て 何もしないで
勝利は彼らの兄弟と影を歩いていく
私が求めているものと
活動しないことを混合してはいけない
私は死と比較をしたくはない
人生はそういうことだ
もし私達が生活する上で
一つの心でなければ
そして何もできなければ
おそらく大きな静寂が
死の恐怖と理解されない悲しみを
邪魔してくれるだろう
おそらく世界は教えてくれる
全てが死んでいるように見える時と
生きていることが証明される時
私は12まで数えるから
あなたは静寂を保って
そして私も行こうと思う
自然という優しさ
静寂は治癒的なツールですが人はよく忘れがちです。しかし、私達はもっとこれを利用することが出来るのです。静寂はあなたの考えまとめる時間で、他人をもっと理解する時間でもあります。また、周囲の人間に対してより親密に、そして思いやりのある人間になれるよう学ぶことが出来るのです。なぜなら、静寂は物事をより注意深く聞く、そして見る助けをしてくれるからです。
この詩の中でネルーダが行ったことは、静寂をより自然的であるように見せたことです。私達と地球という切っても切れない親密な繋がりを持ち出したのは、そこには急ぐことも、走っている電車も、争いもないからです。自然は私達にとって基本的なものです。私たちが優先すべきものを明確にしてくれたり、私たちの世界観を調節して本当に大切なものに集中するために必要な根っこのようなものです。
この美しい詩の中にあるものは、あなたに様々な生き方を促してくれる風です。そして、自分のことをより尊敬、理解するのを助けてくれます。詩ほど小さいながらも強力なものはあまりありません。ですので、より美しく、堂々としてポジティブな現実を描く詩にもっと目を向けるべきです。
あなたも試してみてください。あなたを包みこんでくれる静寂のために、12まで数えてみましょう。