『ペインテッド・ヴェール』:人間関係の逆説的な本質
2006年の映画『ペインテッド・ヴェール ある貴婦人の過ち』のウィリアム・サマセット・モームによる原作小説は、それ以前に二度映画化されています。1934年にはグレタ・ガルボ主演の映画が作られ、1957年版ではエリノア・パーカーが主役を演じました。今回ご紹介する三つ目の映画版では、ナオミ・ワッツがキティ・ガースティンというモームの創造した欠点満載のヒロイン役に抜擢されています。
映画を通して描かれるたくさんのテーマの中には、カルチャーショックや非現実的期待などが挙げられます。本作品は不貞行為と罪悪感が強力な感情の旅路を形成していくような、魅惑的な時代劇です。主役二人を演じるエドワード・ノートンとナオミ・ワッツは、プロデューサーとしても制作に携わりました。
上海で新生活を始めるためにイギリスを発ったところから、ある新婚夫婦の旅路は単なる異国の地での物語以上の意味合いを持つようになっていきます。彼らの生活が意外な展開を見せるにつれて隠されていた情熱が明らかになっていき、初めは復讐行為のように見えたものがすぐに主役二人の成長や進歩に繋がっていく様子も見所です。
タイトルの持つ意味は?
モームによる原作小説(原題『The Painted Vail』、邦題『五彩のヴェール』)は、このタイトルの着想源となった詩の引用で始まります。これは、著名な作家メアリー・シェリー(『フランケンシュタイン』の作者)の夫であるイギリスの詩人、パーシー・ビッシュ・シェリー(1792-1822年)による14行詩からの抜粋です。この詩は、「彼らが人生と呼んで暮らしている綺麗に描かれたヴェールを上げないで」という言葉で始まります。
様々な文化圏において、ヴェールは生と死を分かつシンボルと見なされています。シェリーは、ヴェールの裏側には何もないのだからそれを上げようとするな、と私たちに警告しているのです。彼はまた、私たちはそれぞれ独自の人生(ヴェール)を、各々の信条に応じて(怠惰な色合いで)形作っているものだ、とも訴えています。シェリーにとって、人間とは本当の自己を隠すために彩られたヴェールのような存在だということです。
そしてそれこそがまさに『ペインテッド・ヴェール』の全てなのです。この作品では、仮面を被って自分とは違う誰かや本来の自分のまがい物になろうとしたり、理想的な相手と恋に落ちたりするゲームが描かれます。このようなゲームは痛々しい失望とともに終わりがちであるという事実に私たちが気付けるのは、そのヴェールを上げることができた時だけです。小説の冒頭では浅はかな女性だったキティが最終的にもっと真実に近い人生を発見するまでに至る旅路と、シェリーによる14行詩の内容との様々な結びつきには、思わず目を見張ってしまうものがあります。
キティの表面的な人生
映画の序盤では、もっと良い人が現れるに違いないと信じて求婚者たちを拒み続けるキティ・ガースティンが映し出されます。そんな彼女の将来を、母(マギー・スティード)は大いに心配しているようです。
しかしその後すぐに、キティは知り合ったばかりの男性からのプロポーズを受け入れます。彼、ウォルター・フェーン(エドワード・ノートン)はロンドンで働く若き医師で、細菌学者として上海の研究所に赴任することが決まっていました。
ウォルターの方は完全にキティ(ナオミ・ワッツ)の虜になっていましたが、彼女にとって彼は、一刻も早く結婚するという目標を果たすための手段にすぎませんでした。そして上海に移ってすぐ、キティはイギリス副領事のチャールズ・タウンゼンド(リーヴ・シュレイバー)と恋に落ち、情事を繰り返すようになります。
キティは気づいていなかったものの、タウンゼンドには彼女との関係を正式なものにしようとする気などありませんでした。一方、妻の不貞行為を知ったウォルターは復讐を決意します。彼はコレラによって崩壊しつつある中国の僻地へ彼女を連れて行き、そこで医療援助を行うと主張したのです。
自己の再発見
『ペインテッド・ヴェール』は個人的成長と許しの物語です。悲惨な結婚生活の責任は、ウォルターとキティ双方にあります。しかしながら、二人を強制的に引き離していた問題自体が、最後にはお互いを結びつけ直すきっかけとなりました。
僻地の村で修道院が運営する孤児院を手伝い始めると、キティは否が応でも成長を強いられます。ウォルターの方はと言うと、現地の医療の力になろうと意気込んで村にやって来たものの、住民たちの宗教的信条への敬意を欠いたために彼のやり方は拒絶されてしまいます。しかし現地住民たちと協力することを学んで初めて、彼は前進することができました。
キティは夫の勇気に感心するようになり、彼を新たな光の下で見つめるようになります。この時初めて、彼女は彼に対して心から興味を持ち始めたのです。
『ペインテッド・ヴェール』:苦境と自己発見
僻地の村メイタンフーに到着したばかりの頃、ナショナリストたち、退屈さ、怒りのうち、どれが自分を最初に殺すことになるだろうとキティは悲嘆に暮れていました。その時はウォルターとの破綻した関係性を即座に修復することなどできなかったのです。初めの頃、二人は新たな住まいの厳しい現実に圧倒されてしまいます。しかし新しい状況で直面したその困難な環境こそが、二人に気づきをもたらし、互いへの深い理解に繋がることになりました。
愛、そして新たなロマンスの開花は決して単純なものではありません。時間が経つにつれてキティは、ウォルターの患者への献身や優しさ、道徳心といった美しい面を知っていきます。そしてついに自身の道が誤っていたことに気づいた彼女は、次第に彼を愛するようになるのです。
それまでにキティが犯してきた過ちが、かえって彼女の自己改善の旅路の真実味を増しています。彼女が完璧な存在だとは決して言えません。しかし、『ペインテッド・ヴェール』全体を通して、彼女は自身の全ての過ちから学び、より強く賢い人間へと成熟していくのです。
中国に移り住むまで、キティが自分以外の誰かのことを真剣に考えたことなどありませんでした。しかし本当の苦しみを初めて経験し、やっと夫が自身のためにしてくれたこと全てが真に意味を持ち始めたのです。また、ウォルターの方も妻が出会う価値のある人間だったということに徐々に気づくようになります。
このように互いへの新たな親近感とともに改めて情熱が湧き上がり、結婚してからおそらく初めて、愛が二人の間に生まれました。
普通とは異なるラブストーリー
キティは子どもを身ごもり、父親は不明だったもののそれをウォルターに打ち明けます。妻をあまりに厳しく批判してしまったことを深く嘆いた彼は、真相がどうであれその子は自分たち二人の子だとキティを安心させ、それ以上質問を浴びせたり意見を述べたりはしませんでした。
『ペインテッド・ヴェール』は普通とは異なるラブストーリーだ、と考える人もいるでしょう。確かに結婚はしているものの、本来であれば出会うはずもなかった二人なのです。しかしあらゆる相違点を乗り越え、彼らはなんとか共通の地盤を見つけることに成功します。
刺激や冒険を求めて結婚生活の外側を覗こうとした時にキティが見つけたのは、俗悪や欺瞞のみでした。そして夫を尊重できなかったことのしわ寄せはすぐに彼女自身を襲い、時が経つにつれ、彼女は苦境を乗り越えるために奮闘しなければならなくなります。しかし最後には、コレラとの戦いという絶望的な状況にあったにも関わらず、キティもウォルターも互いの中にそれまで知らなかった新しい何かを発見することができたのです。