ペットを失う痛み

ペットを失う痛み

最後の更新: 10 11月, 2017

私達はみな悲しみのプロセスを通ることがどのようなことかを知っています。家族の一員が亡くなったり、愛する人が去ってしまった時、彼らはもうあなたの側にいないのだということを受け入れる時間が必要です。では、あなたのもとを去ってしまったのがペットの場合はどうでしょうか?ペットを失う痛みというのはあまり話されることのないトピックです。

また、動物の愛を知らない多くの人はそれがどういうことかを理解できず、そのため、その痛みを最小化し、過小評価しています。これは、ペットの喪失で苦しんでいる人は無効にされてしまった痛みとも向き合わなければいけない、ということなのです。

猫、犬、兎、亀…これらはただの動物ではありません。動物を引き取った時、その動物は家族の一員になるのです。

あまり認識されていない痛み

ペットを失う痛みを感じたことがあれば、「ただの動物でしょ」「また新しいのを飼えばいいよ」などといったこんなことを言う人に出会ったこともあることでしょう。こうした行為は最も信頼していた友人であるペットを失った人にとって何の解決にもなりません。お葬式へ行って、亡くなったばかりの赤ん坊について同じことを言っているところを想像してみてください。「心配しないで、また新しいのを生めばいいのよ」ということは理にかなったことでしょうか?もしくは、また新しいお父さんやお母さんを迎え入れたらいいよなんて言ったりできるでしょうか?

ペットを失うことによる精神的なショックの大きさはまだまだ過小評価され続けています。事実、自分の親友がこうした喪失を経験していることを不憫に思ったり、彼らに同情したりしない人がたくさんいるのです。また時によっては、そのことについて話すことを避けすらして、それは重要なことではないとしてしまっているのです。

添い寝する2匹の猫

喪失して泣くこと

愛する人を失くして悲しむ時、葬式を行うことでその痛みのいくらかは緩和されるかもしれません。なぜなら、葬式でその時にあなたが必要としている人々と一堂に会することができるからです。家族の支えと共に、亡くなった人を埋葬したり火葬したりする行為は、ある意味亡き人に敬意を表し、またあなたにとってはきちんとしたさようならを言う事ができることから、いくらかの慰めになります。

こうした儀式は痛みを表現し、共有できる環境と雰囲気を作ります。しかし、ペットのための葬儀はあるでしょうか?

動物のための火葬場や墓場が存在しますが、あなたの最愛のペットに公にさよならを言う事は、亡くなった人にそうすることと似たようなものでは全くありません。もしあなたの犬や猫や兎や亀が亡くなった場合、彼らの尊厳が称えられるようなさようならができる現実的な手続きは存在しないのです。

 

ペットを失ったことで感じる罪悪感と痛み

ペットにきちんとしたさようならを言わないことは悲しみのプロセスに障害をもたらしかねません。ペットの死に罪悪感を感じている場合は特にそうです。きっとそのペットには健康面で問題があって、あなたはそれでペットのことをきちんと面倒みられなかったとか、もっと気を配っておけばよかったと罪悪感を抱いているのかもしれません。そうすればきっと薬の副作用で生じた嚢胞は避けられたかもしれなかった、と。

こうしたことはあなたの頭を駆け巡り、あなたに罪悪感を感じさせる思考の数少ない例です。しかし、人がペットの死に対して罪悪感を感じる主な理由は安楽死です。安楽死は人間に対しては合法ではありませんが、動物を苦しみから解放するためには最もよく使われている選択肢の一つです。

舞い散る鳥の羽

安楽死は、最終手段としてペットが死ぬ日取りを決めてしまうことから、多くの人がペットの死に対して罪悪感を感じます。安楽死を選ぶ人の多くは、まるで自分が殺人者のようにすら感じることもあります。しかし、この選択をする時はペットを救うにはその他に選択肢がなかったということを覚えておいてください。

そうした意味で、支え合う事は必要不可欠です。ペットを失くした人にその苦しみを言葉で表現させることは、そのことを承認し、うまく処理する手助けとなります。そうすることで、その痛みは靴の中に挟まった石のように後々になって徐々に痛みを伴わせるようなものにならなくてすむのです。

新しいペットを迎え入れる

もし悲しみの初めのステージであれば、おそらくまだ新しいペットを受け入れる準備はできていないでしょう。新しいペットを迎え入れることで亡くなったペットの思い出を裏切っているような感覚に陥るのは普通のことです。またこれは新しいペットにとっても良いことではありません。なぜなら、そのせいで将来的に苦しむことになるからです。

このような大きな喪失、そしてこのような深い傷で苦しんだ人には愛情が必要です。話す時間が、静寂にいる時間が、世界に対して怒る時間が、そして疑問を問いかける時間が必要です。しかし最も必要なのは、彼らがその喪失経験を人生経験として受け入れられるようになるまでに経る悲しみのステージを次から次へと移行できるようになるための手助けなのです。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。