恋愛の「盲点」を見抜く方法
時に、愛し愛されたいという欲求で、目を閉じて心だけを開き、得体のしれないところに自分自身を投げ入れるような行動に出ることがあります。時にうまくいくこともありますが、そうでないこともあります。それは盲点があるためです。自己欺瞞にはまってしまって、クモの巣にかかった獲物のような状態になります。
これらの盲点を理解するために、簡単な実験から始めてみましょう。数秒目を閉じて開いてみてください。それから外が見える窓を探します。数秒太陽の光を顔に浴びてください。
目線を別のところへ移しましょう。気づかないかもしれませんが、あなたのニューロンには光をとらえる小さな神経細胞の光受容体があり、ほぼ即座に脳に情報を伝えます。
新しい受け入れへの変遷として機能するとき、否定は実践的で高貴で忠実です。
-ホセ・オルテガ・イ・ガセット-
光受容体が存在しない網膜の部分があります。これが、盲点と呼ばれるものです。目はイメージを捉えないため、このような盲点が作り出す白い点が混じった世界を見ることになります。でも実際に見えるものは詳細を欠いていません。それは完璧に美しく映ります。顔の影や美しい景色もきちんと見えるのです…
でもなぜそんなことが可能なんでしょうか?ただのまっさらなスペース、つまり網膜の盲点があるなら、なぜはっきりと見えるんでしょうか?答えは驚くほどシンプルです。わたしたちの脳が、その空きを「埋める」のです。
おかしなように聞こえるかもしれませんが、同じことが心理的にも起こります。自分の周りには見えないものがあります。これらは盲点で、大抵は意識の先へ消えてしまうネガティブな事実です。
脳は、わたしたちが受ける情報をコントロールしてフィルターをかける機能があります。だからネガティブな認識は鈍ります。落胆の一撃を和らげるために、脳がブラインドをかけます。この完璧な自己欺瞞のアートは、愛や恋愛の領域でよく見られます。
盲点:相手のありのままを受け入れたくない
「僕の彼女はコントロールしたり嫉妬したりなんてしていない。僕のことを心配していて、愛してるだけなんだ。」「別れてなんてない。仕事で彼はストレスを感じていて、ちょっとお休みが必要なだけ。今忙しすぎるだけけ。もっともよ。何かがうまくいってなかったわけじゃなくて、今まで通り愛し合ってる。」
盲目でいることは、浮いたままでいれるように人がしがみついているライフボートのようなものです。人の自己欺瞞の技術は、もっとも洗練された方法のひとつです。ストレスの火種を消すために使用します。そうやって不安を捨てようとします。
盲点によって作り出されたこの精神的なもやは、よくある否定から、理性化や自分の意識を向けたいものにフォーカスして他を無視する限定的注意など、様々な方法で機能します。
詩人のアントニオ・マチャードは、現実の暗い部分を見るより良くないことがあると語っています。それは、全く見ないことです。大きな愛の迷路を恐れるあまり、よくやってしまいがちです。「失う」なら「見ないほうがい」と思ってしまいます。
盲点に光を当てる方法
ロバート・トリヴァースは、自己欺瞞の研究で有名な社会生物学者であり文化人類学者です。彼によれば、人間によく見られるこの戦法は、シンプルな嘘よりも洗練されています。つまり、自分自身に嘘をつく行為には、もっと深い複雑な枠組みがあるということです。
さらに、その証拠を無意識の精神へと送り込み、自分の意識に嘘をついた場合、認識的な犠牲は計り知れないものです。自分自身を被害者にしてしまいます。
「現実が危険に感じられない限り、嘘は意味をなさない。」
-アルフレッド・アドラー-
盲点に光を当てるにはどうしたらいいかと思っているなら、それは難しい、というのが答えです。愛している人の目を見開かせようとしたら、もしかして彼らは否定で反応するかもしれません。
もしあなたの自尊心や価値観が弱いと感じているなら、同じ罠にまたはまってしまう前に出来るのは、恋愛関係でよくある盲点について知っておくことです。
- 理想化という恋愛で最もよくある盲点にはまらないようにする。
- 相手をありのままに見る。まっさらのままを見る。気に入らないことは過小評価せず、自分の気分を良くするためだけに自らがすることを強調しすぎない。 不自然だったり相手を傷つけることになってしまう。
- 自分の環境、思考、感情と合わない考えに合わせることで現実をわい曲しない。
- 今日の落胆を次の日まで引きずらない。
アルベール・カミュはかつて次のように言いました。「現実は光のように目をくらませます。欺瞞は美しい月明りで、すべてを照らします…」。月明りに生きてはいけません。結局痛みを先延ばしにしているだけです。代わりに、勇気を出して現実に目を向けましょう。