真の友情は嵐をも乗り越える

真の友情は嵐をも乗り越える

最後の更新: 28 8月, 2019

私達の友情は厳しい時を通ってきましたが、私達の愛を信じる心がそうした時を乗り越えさせてくれました。

今、やっと分かりました。真の人間関係は困難によって試されるものなのかもしれないのだと。しかし、結局、当人同士の間には何も誰も割って入れないのです。関係は一時停止するかもしれませんが、そのメロディーは流れ続け、より強く、エネルギッシュに、美しくなるものなのです。

一緒にいることでどれだけ強くなれるかなんて考えたこともなかった頃、私達は全ての疑いを取り除いていました。そして、手をつなぎ、嵐がおさまるまでお互いを抱き合って支え合いました。恐怖が強さになったのです。

友情の価値

本当のところ、素晴らしい友情の価値のおかげでこれを言う事ができます。それは幸せの気持ちと永遠で純粋で誠実な何かを耕すことで得られる誇りの気持ちです。結局のところ、家族内や子供の頃から続く絆ほど独特な絆はありません。

屋上に寝そべる3人

私達は様々な出来事の中を生きてきました。しかし、友情の価値は経験と知識を共有することから来ます。それは一人一人が別々に存在できるものではなく、共に強くなるものなのです。

「気づくよりも早く、彼らは静寂の中で握手を交わし耳を傾けた。2人はそれぞれお互いが同じことを感じていたと知っていた。それは、友を見つけた喜びだった。」

―ミヒャエル・エンデ

 

誠実な絆は壊れるはずがない

あなたと共に、私は二人の誠実な絆が決して壊れないように強く願っています。あなたと私は、道の隆起を乗り越えるのが簡単ではなかったことを何よりもよく分かっています。しかし、人生が私達を同じ側に立たせてくれていることに感謝しつつ、ここに立っています。

愛憎劇、喧嘩、誤解、些細などうでもいい嘘・・・それらは故意に起こったわけではありません。私達は人間です。こうしたことを経験してきたのは普通のことです。しかし、こうしたことにも拘わらず、私達は共に前へ進むことを学んできたのです。

友人として最も難しい課題は、お互いが理解できない時に理解を示すことだ。

―ロバート・ブラウル

私達があの不幸な知らせに向き合わなければいけなかった時をあなたは覚えていますか?手をつないで、一緒に向き合いましたね。お互いがいたから、私達は嵐を切り抜け、もっと強くなれたのです。

故意になされたわけではなかったとしても、傷つけることになった行為に打ち勝つのは許しであると私に教えてくれたのはあなたです。愛が叱責以上の物になり得ること、共感は誇りよりも強いこと、そして距離は単に友情における鏡であることを教えてくれました。

友を持つことは一つになることでもある

私は私達が持つ友情が可能なものであることを知っています。なぜならそれは真実で、私達が信じる心を失っていないからです。そして、そのカギの一つは、私達が自分自身と友達になる方法を知っていることだということも私は分かっています。結局、はじめに自分自身と友達になれなければ、他の誰かと友達になることはできないのです。

夕暮れの水辺に座る二人の足

友を持つということは、自分自身と相手の両方と友になるということです。それが私達がとても上手にやってのけていることなのです。

友は手にすることができる最も素敵な物の一つであり、なることができる最も素敵な物である。

―ダグラス・ぺーゲルス

私達はお互いに感謝する必要はありません。お互いを愛し、この愛を見せることで十分なのです。そして、私達は共に乗り越えられない嵐、出来事、いさかいなど決してないということもお互い知っているのです。


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