冷たいんじゃないんです、ただ傷つくのが怖いんです
私達は親密さが欠けているように見える社会に暮らしています。 泣くことは女の子がすることであり、弱さを表すものなので、男の子が泣くことは良くありません。若者たちは、傷つかないように一夜限りの関係を好みます。大人は自分を愛していない人と関係を持ったりします。お年寄りは迷惑だと見られているため、一人暮らしをしています。
今こそ、恐怖の感情を乗り越えるべき時です。人道主義はどこへ行ってしまったのでしょうか?
カップルでもない限り、道端で2人がお互いを抱き合っているところを見ることは難しいことです。おかしな響きにならずに「愛している」と言う事もです。罪悪感を感じたり、恥ずかしいと感じることなく泣くこともです。どうやら私達は「感情の無い」文化に暮らしているようです。感じたり、自分の気持ちについて話したりすると、弱いと思われてしまうためです。ですから、共感する力と愛情を持ってハグをする代わりに、冗談のやり取りをするのです。
「失うことを恐れることによってどれだけのものを失っているのだろうか?」
傷つくことを恐れる気持ち
想像して下さい。あなたは森の中を歩いていて、暗くなってきています。突然、物陰が見え、何かが動きました。それが動物なのかただの風だったかのかどうかを見極める前に、脳が体を警戒状態にさせます。こうした反応は私達の生存本能によるものです。脳の中には、偏桃体と呼ばれる小さな構造があり、恐怖体験を処理します。
偏桃体は、危険が待ち構えている時に作動する非常ボタンです。ルイス・カレティエマドリード自治大学の精神生物学教授は、その構造は私達が危険に気づく前に既に答えを作動させることができると主張しています。
カリフォルニア工科大学の神経生物学者であるデイビット・J・アンダーソン達とフリードリッヒ・ミーシャ―研究所の教授であるアンドレアス・リューティのチームによって行われ、2010年に「ネイチャー」誌に掲載された2つの研究が、「恐怖の輪」と呼ばれるものの機能を解明しました。
研究によって、偏桃体にある2種類の神経細胞の存在が恐怖の「門」を交代して開け閉めしていることが証明されたのです。しかし、カレティエ自治大学は、そうした研究結果は注意して見るべきだと主張しています。なぜなら、人間には恐怖に関連した他の要因があるからです。例えば、恐怖は前頭葉前部皮質で、状況を限局的状況に置き換え、反応をさほど自動的なものではなくより複雑なものにするという重要な役割を果たします。
「臆病であることは時の経過よりも老けさせる。年月は肌を皺だらけするだけだが、恐怖は魂を皺だらけにする。」
配偶者であれ、上司であれ、親せきであれ、人が私達を傷つける時、それが言葉によるものであっても、偏桃体は能動的に反応します。しかし、全てを限局的状況に置き換え、行動する前に熟考の時を取ろうとさせてくれるのは私達の前頭葉皮質です。その一方で、恐怖は私達の経験に大きく影響し、感情を遮断するものであるということを考慮しなければいけません。
傷つく恐怖を克服する方法
私達は一度、あるいは何度も傷ついたことがあります。しかし、だからといって常にそうなるというわけでもなければ、自分のやり方を変えなければいけないということでもありません。こうした恐怖に対して、内省し、自分の気持ちを覆い隠す鎧を脱ぎ去る方法を提案します。
何が怖いのかを認識する
最初のステップであり、恐怖を克服するのに最も難しいものは、恐怖を認識することです。過去に恐怖を引き起こすような、どんな事が起きたのでしょうか?私達は何を恐れ、なぜ恐れているのでしょうか?それについて深く考えることは、何が起きているのかを理解し、問題に対し現実的な視点を持つのに役立ちます。
自分の気持ちを知ること
私達は多くの事を感じ、時々こうした感情を恥や恐怖のために奥深くに閉じ込めてしまいます。私達はこの盾をつけることが自分をただ傷つけているだけだということに気付かずに、このようなことをしてしまっているのです。おそらくそのことについて話す相手や専門家からの助けが必要ですが、自分自身について知ることを学び、自分が感じたままに生きることを学ぶことが大切です。
芸術を通して自分を表現する
ダンスや絵画、執筆などあらゆる形の芸術は、自身を表現し、恐怖ではなく勇気を持って自分が感じていることを出すのに役立ったりします。大事なことは、自分が好きで、自身を表現したり感じることを促してくれる活動を見つけることです。
「気持ちと感情は称えられるべき万国共通の言葉である。私達という人間を偽りなく表現するものなのである。」