私は私、自分を証明する必要なんて何もない

私は私、自分を証明する必要なんて何もない

最後の更新: 24 10月, 2017

自分自身が誰であるかが明確に分かっている時、私達は他人の意見を必要としません。何かを証明する必要なく生きることができ、実感を持って自分自身で意思決定することができ、尊厳と智慧が自由かつカラフルに描き出されている地図のデザイナーであるように感じる時、これ以上の開放感はなかなか味わえません。

人生において、自己表現や感情のきらめきによって真の自分自身が見出され、偏見も、 批判や拒否に対する不安もないという所までたどり着くのは簡単ではありません。これは、時に予想していなかった内なる変革をもたらすことがあります。その理由は、自分自身を受け入れることよりも他人の意見に常にフォーカスしてしまう、私達の心的構造の中にあります。

「これが私のあり方、これが私の幸せ」

私達は、目立つことが良しとされがちな社会に生きています。世界はまるで劇場のようです。求められるべきこと、正しいことの基準を決める誰かがいて、それ以外の私達はその基準に合わせて踊り始めるのです。毎日毎日、そして気づきもしない内に、私達は誰かが作ったストーリーの中の脇役になってしまっているのです。そしてそのストーリーとは、私達のアイデンティティや価値観、同義とは一切関係ないのです。

私達が忘れてはいけないのは、自分自身に対して持っているイメージは、文化的あるいは遺伝的に伝わってきたものではない、ということです。むしろ、これは築き上げられるものなのです。私達一人ひとりが周囲の世界について自分の見解を示すことができるのと同じように、自分自身についても理論やコンセプトが作り出されます。そうした図式によって、自分自身を嫌いになることもあれば、逆に心から好きになれることもあります。 少し立ち止まってみましょう。そして、自分自身のための素晴らしいストーリーの主人公になりましょう。

猫と青い髪の女性

何かを証明しようとすることは止め、人生を生き始めよう

私達はみんな、読み書きや歩き方、健康的な食事について教えてもらってきました。病気になった時は、お医者さんから処方箋をもらえます。けれども、自分自身を心理的にケアする方法や、まして自分を愛する方法について教えられることはほとんどありません

私達の多くは、幸せになる資格などないのではないか、という暗い気持とともに心理学者を訪れます。「何もかも上手くいかない」「みんな離れていく」「全ての人間関係がゴミ箱行きになってしまう」という表現をまとめてみると、一つの内在的な理由へと帰結します。それは、「自分の愛し方を忘れてしまった」ということなのです。

一方で興味深いのは、自分自身を定義したり、関係性を説明したりする時、自分たちがいかに他人にフォーカスしているかが一瞬で明らかになる、ということです。そして、私達は愛情に満ちていて、他人への気配りや献身を通して人生を理解する生き物なのだ、ということも。愛情から行動を起こすことや、無償の愛を示すことが自分に同じように返ってくるということについて考えてみましょう。同じだけのエナジーが返ってくるのです。

たくさんの人が心理学者に会いに行きますが、その誰もが「自分は幸せになれない」という暗い気持を抱えています。

こちらを振り向く青い髪の女性

このバランスの中心、つまり与えることと、見返りとして受け取りたいと思うことの間で、人はとても簡単なことを忘れてしまいます。それは、生きることです。私達の存在は、愛情を与えることで見返りがある、ということの上に成り立っているわけではありません。他人に対する不健全な愛着の中心にあるのは真の自分自身であり、感謝され、自由になり、そして一人の人間として認められることを待っています。

忘れてはならないのは、悲しみや絶望の根源に対する免疫は、自己愛を学ぶことによってのみ得られるのだということです。その時初めて、何の恐怖も条件もなく、「私であること」を祝福することができるのです。

心の屋根裏部屋を掃除しよう

自分が何者であるのか、そして自分の価値が何であるのかを知り、本当の人生を歩むためには、心の中の屋根裏部屋を掃除するより良い方法はありませんなぜかというと、信じがたいかもしれませんが、その大切な場所には誰かがくれた「古い家具」のような、たくさんの無用の長物があるからです。 そして、新しい窓を開いて取り除かなければならないホコリが積もっています。

「いつかどん底をついて、限界にたどり着いた時、自分自身の変革が始まるのです」

– ウォルター・リソ

次に、これを達成するための方法を説明します。この戦略は、あなた自身の成長のためにきっと役立つはずです。

音楽を聴きながら掃除する

掃除はごく単純なもの、自分の手で触れていないものから始めましょう。つまり、自分で選んでいないもの、ということです。こういったものの多くは、伝達されたものを適切に判断し、価値づけていくためのフィルターが脳内でまだ発達していなかった子供時代に得られたものなのです。

  • 親によって植え付けられた価値観や命令といったもので、どういうわけか自分の感じ方や欲求、自分が大切だと思うものと調和しないものについて考えてみましょう。
  • 次のステップは、暗いすみっこを掃き掃除して、自分自身の中につくりあげてしまったネガティブな図式という「ホコリ」を取り去ることです。一般的に、そういったものは言葉として現れます –「私には…ができない」「今のライフステージだと、…に価値はない」「自分には、あれやこれやは見合わない…」
  • そして更に、心の屋根裏に潜む侵入者を始末しましょう。それらは往々にしてカモフラージュされていて、恐怖やためらい、偏見、受け入れられることに対する継続的な欲求といった形を取ります。それらを特定し、もと来た所へ返って行くように優しく頼みましょう。

最後に、この掃除のプロセスでは、基本となる家具を置くためのタイミングが来ます。そうすることで心の屋根裏は平穏で美しい場所になり、それはまたユニークかつ健全でもあります。ここでいうソファとは、自己肯定のことであり、テーブルは良くできた自己概念のことです。椅子には価値観が座り、誰も踏みつけることのできない尊厳を彩る鮮やかなカーペットが敷かれます。

自分の求める人生を作り上げ、自分自身に誇りを持って、強い心を持ちましょう。そして、思い切って自分自身のストーリーの主人公となるパーソナリティを抱きましょう。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。