2つの「サスペリア」:オリジナルとリメイク
1970年代、イタリアの映画監督ダリオ・アルジェントは、魔女3部作と呼ばれる内の初作「サスペリア」で、見る人に衝撃を与えました。
アルジェントはホラー界、特にジャッロ映画で有名です。ジャッロ映画とは、残虐で突飛なことで知られる様式化されたイタリアの犯罪映画です。アルジェントの作品は長年、聴衆に驚愕と恐怖を同時にもたらしてきました。監督としてのアルジェントを色で表すのであれば、血の赤がピッタリでしょう。彼の映画は、恐怖と暴力の美的側面を見せてくれます。
「サスペリア」には、アルジェントのシンボルでいっぱいの、超自然で謎めいたホラーが詰まっています。妻のダリア・ニコロディと共に脚本を手掛け、見る人の想像力をかきたてるシーンが厳選されています。映画がはっきりとは示さない情報をどう再構築するかは、映画を見る人にゆだねられます。この映画では、バレエ学校の壁の裏で行われている驚くべき事実を想像させられます。
「サスペリア」の新しいバージョン
オリジナルが公開され数十年経った2018年、別のイタリア人映画監督が「サスペリア」に新たな命を吹き込みます。映画の視聴者の解釈すべてを想像し、アルジェントが作った世界を広げ、現代の要素を加えました。
グァダニーノ監督の「サスペリア」はオリジナルとかけ離れたものですが、その起源を忘れてはいません。時々、その中にアルジェントの脅威を見ることができます。この2つの映画では、2つの意味のホラーの理解、2つのサスペンスの創造、そして同じストーリーの2つの語り方が示されています。
注意:この記事は、ネタバレを含みます。
2つの「サスペリア」:女性の世界
別の記事で、映画における女性の存在の変化には長い年月がかかったことを書いています。長い間、女性の役割は補佐的であり、母親、美しさ、家庭的など「昔ながらの」女性の役のみを果たしてきました。その間、男性はスクリーン上のヒーローで、それはカメラの裏でも同じでした。
しかし、ダリオ・アルジェントは妻である女性と共にサスペリアの脚本を手掛けただけでなく、当時の型を壊す女性を集めました。「サスペリア」は、女性によって運営されるドイツの名門ダンス学校が舞台となります。男性も登場しますが、ほとんどが補佐的役割です。アルジェントは昔ながらの役割を入れ替えたのです。
中でも重要な男性登場人物に、若いミゲル・ボセ演じるマークがいます。マークは学校の女性指導者に従属的なダンサーです。彼のキャラクターは女性的ですが、主人公のスージーはマークを好きになります。このように、登場人物を使い、アルジェントは、性のステレオタイプを崩していったのです。
スージーはドイツのマルコスダンス学校で学ぶためにアメリカから来ました。彼女は、この学校が魔女の集会であることを知りません。主人公もその敵役も女性で、映画は女性のエネルギーで満ち溢れています。
現代のフェミニストを描く
#Me Too運動、フェミニストの復活がみられる中に、グァダニーノは足を踏み込みました。彼の映画は、これらの運動に敬意を示します。カメレオン女優のティルダ・スウィントンは、男性を含む3つのキャラクターを演じます。
スウィントンが男性の役を演じる必要はなく、男性を雇えばよかったと言う人もいます。しかし、男性の役を女性が演じるのには、意味がありました。映画界の女性の地位を主張したかったのです。これまで長い間、男性が女装し、女性を演じてきました。ウィリアム・シェイクスピアなどの偉大な作家による演劇の多くが男性によりすべてが組まれていました。
「サスペリア」2018年バージョンでは、男性の存在がさらに重要でないように調整されました。魔法は、女性と結び付けて考えられることが多く、ネガティブな意味を含む傾向があります。グァダニーノは、フェミニストの映画を作り、女性はどんな役も演じることができると示すことにより、女性の地位を主張したのです。
昨今、映画やテレビで魔女を扱うものがいくつかあります。「アメリカン・ホラー・ストーリー」や「サブリナ:ダーク・アドベンチャー」は、魔法が女性的に使われることを示しています。
グァダニーノは、歴史的・政治的背景を利用し、集会の統治における不安定さとのパラレルを表現しました。歴史的家父長制と集会の母権制の2極のようなものです。グァダニーノの作品は、アルジェントの作品にある価値をアップデートした、リニューアル版なのです。
ホラーの2つの解釈
「サスペリア」には興味深い文化的、歴史的一面がありますが、この映画まずホラーであることは間違いありません。オリジナルで、アルジェントは私生活のシーンをたくさん使っています。閉ざされた扉の裏の、ミステリアスな集会から離れたシーンです。映画の色や音楽は、何か奇妙なことが起こっていることを示しますが、悪の集会が隠しているものが何かを知ることはできません。
スージーのドイツへの到着は、何かを物語っています。良く知られた場所である空港をアルジェントは映しました。スージーが出口へ向かう現実は、出口のショットと対照的です。これは暗闇に通じる出口であり、ゴブリンの不穏で素晴らしい音楽が、何かわからない、悪魔的で奇抜な感覚を与えます。
ダンス学校へ向かうタクシーも希望に満ちあふれたものではありません。絶えず変化する色は、現実をゆがませ、音楽は大きくなり、タクシーの外は、敵対的で恐怖を感じさせます。
現代版の「サスペリア」では、マルコスの生徒パトリシアが精神科医に悪の存在を口にします。学校で起こる超常的現象について話します。何が起きているかには、2つの解釈があります。ひとつは精神科医の合理的解釈で、もうひとつはパトリシアを信じる超常的解釈です。
全てがさらけ出される
グァダニーノの作品は、アルジェントより現実的です。現実をゆがめたり、不穏な音楽はありません。そのかわり、見る人は、生活音やダンス、震える体にどっぷりつかります。オリジナルの「サスペリア」で非常に重要な色は赤で、これはスージーの髪の色です。
赤い髪は、魔女を連想させます。グァダニーノの映画で、魔女が髪を切ろうとする瞬間、スージーの髪はより関連性が高まります。力を失うサムソンとは違い、スージーはより力強くなり、マザー・サスピリオルムになります。クライマックスシーンでは、赤で染められた画が映し出され、グァダニーノは、見る人を血にさらし、映画の根源へと引き戻します。
童話 VS 現代ホラー映画
グァダニーノは、集会の隠された詳細を見せます。アルジェントが映し出さなかったシーンも取っています。彼の「サスペリア」では、恐怖と不快なシーンをもって、ダンスと魔女の繋がりを求めます。一方で、アルジェントは、超現実的、超常的、奇妙な空気で、見る人に不穏や恐怖の感情を与えます。
彼のショットは、カメラが一人の人物で、マルコスの生徒をスパイするかのように盗撮的になっています。また、両者とも集合的想像を用いています。その違いは、一方は挑発的で、他方は明示的であることです。
アルジェントは、主人公を子どもにし、童話のような映画を作りたかったと言います。しかし、それはかなわず、ホラー映画の中で子どものような視点を取り入れた映画を作りました。
最後に。ここに、恐怖の童話と想像を必要としない現代ホラーがあります。2つのサスペリアは、同じ脚本ですが、大きく異なります。どちらも怖く、楽しめますが、個人的には、アルジェントの原作を好みます。あなたはどうですか?