病的な罪悪感とその有害なネットワーク

何が正しくて何が正しくないのかという独自の比較基準を全ての人がそれぞれ有しています。そして自身の信念や道徳心を裏切ってしまったと感じた時、人は後悔の念を抱きます。では、正常な罪悪感と病的な罪悪感との境界線はどこにあるのでしょうか?これについて見ていきましょう。
病的な罪悪感とその有害なネットワーク

最後の更新: 24 8月, 2020

本来、罪悪感は健全な感情です。そこから苦痛が生み出されるのは事実ですが、これは自己批判に関連したメカニズムなのです。時折誤った行動を取り、その結果他者を傷つけてしまうことは生きていく上で避けられません。そういった場合でも、責任感のおかげで私たちはその償いをしなければならないことに気づけます。しかし、自責の念が度を越し、病的な罪悪感へと膨らんでしまう状況もあるようです。

罪悪感には、良心へ訴えかける気持ちが含まれています。罪悪感が生まれるのは、ある原則が侵害された時、あるいはある価値観が無下にされた時です。この感情は、イデオロギーと強く結びついています。

“無邪気な状態から罪の意識を抱えた状態になってしまうまではたった1秒だ。時間とはそういうものなのだ、疲れ切った木に止まって歌う鳩たちよ”

フアン・ヘルマン

心理学的に言えば、ある行動が「善」か「悪」かを判断することは実質的には不可能です。故意に他人を傷つけるような人々であっても、異常な、あるいは病的な環境、あるいは崩壊した環境にいたことで引き起こされた思考や感情の歪みが原因でそのような行動をしているかもしれないからです。

しかし、何が正しくて何が正しくないのかという独自の比較基準を全ての人がそれぞれ有しています。そして自身の信念や道徳心を裏切ってしまったと感じた時、人は後悔の念を抱きます。では、正常な罪悪感と病的な罪悪感との境界線はどこにあるのでしょうか?これについて見ていきましょう。

病的な罪悪感 有害なネットワーク

正常な罪悪感と病的な罪悪感

「正常」と見なされるタイプの罪悪感と、病的な罪悪感との違いは、常に明確なわけではありません。これを見分けるための最初の足がかりとなるのは、その頻度と強度を確認することです。罪の意識を頻繁に、そして侵襲性がある形で感じているのであれば、病的な罪悪感の問題があると考えて良いでしょう。

罪悪感が現れ出るところには、精神疾患が存在しています。その中でも特によく見られるのがうつ病です。この状態にある人々は通常、自責の念にとらわれています。実は、うつ病を抱える人々は病気を克服できないことで罪悪感を感じ始めてしまうのです。

また、病的な罪悪感は強迫性障害や恐怖症、そして依存症などを患う人々にも見られ、この場合、罪悪感もその病気の一部となります。これは、特定の行動を修復したり修正するのに役立つ健全なタイプの罪悪感とは異なり、むしろ心への罰則のような形で継続的に効力を持ち続けるのです。そして大抵の場合そのせいで病状は悪化していきます。

罪悪感の様々な顔

時には、罪悪感が別の形に姿を変えて現れることがあります。この場合、その罪悪感は何か非難されても仕方ないようなことを行なったり言ったりした時に感じる典型的な良心の呵責とは別物です。病的な罪悪感の中には、例えばトラウマ性の罪悪感と呼ばれるものがあります。

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このメカニズムは以下のように働きます。虐待の犠牲者や事故の被害者がいるとしましょう。このようなケースでは、その人が受けた精神的な衝撃は相当なものです。そのため、「トラウマ」がこの人物の人生に存在するようになります。そして彼あるいは彼女は被害者であるにも関わらず、当時の状況に対する罪の意識を増幅させていきます。これはまさにトラウマのもたらす主要な影響の一つです。この罪の意識は病的な罪悪感だと言えます。

また、実際には他人に危害を加えたわけではないにも関わらず、自分は誰かを傷つけたのだと考えて罪悪感を抱き始めてしまう人もいます。誰も被害を受けていないのであれば、そのような感情を感じるべきではありません。しかし、かなり厳格な道徳心や超自我を持つ人々の場合、自身の思考は有害だと解釈してしまうのです。

病的な罪悪感に打ち勝つには

病的な罪悪感は侵襲性が高いものになり得ます。この感情は少しずつ心に穴を開け、生きていく上での様々な決断に支障をきたします。これは自分自身を過小評価したことによる産物でもありますが、自尊心を著しく低下させるものでもあります。例えば、自己愛が欠如している人々は常に他人から好かれようとするものですが、それがうまくいかないと、この非現実的な目標を達成できないことへの罪悪感を感じ始めるのです。

病的な罪悪感

こういったケースで求められるのは、物事を別の視点から見ることができるように心を開くことです。思考や理論を評価する時には特に、規範や信念について考え直してみることが重要です。大抵の場合、こういった信念は極度に融通の利かないものであり、より良い人間になるため、あるいはより良い社会の構成員になるために役立つものではありません。これらの唯一の役割は人を苦しめることだけなのです。

多くの場合、心理療法士の助けを借りることが必要になります。罪悪感は非常に深く根付いている可能性があるので、サポートなしで対処することが難しいのです。しかし病的な罪悪感から抜け出せるよう、努力をしてみる価値はあるはずです。この感情には生活を台無しにしかねない壊滅的な力があるのですから。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。