罪悪感の親友:疑念と不安

· 2018年6月11日

罪悪感はそれだけで現れることがなく、また生活の中のさまざまな理由で現れます。私たちが行ったことの結果が芳しくない時、自分を問い詰めてしまいます。またある時には、私たちにそれを言ったりやったりする十分な勇気がなかったという気持ちが、自身の心を侵食し始めます。この2番目のケースでは、私たちの生活に罪悪感が2人の友人、疑念と不安を連れてきてしまっています。

恐怖のせいで何かをやめないでください。こうなっていたかもしれない、と自分自身を責めるよりも、やってみて残念に思うほうがよいのです。

 

それが疑念が私たちの意思決定に影響し、不安が何もしない方が良いと判断するときです。「今あるものを失ったらどうしよう?」こうして罪悪感はあなたに住み着くのです。私たちは悲しくなり、行動を起こせなくなり、「できないこと」を受け入れる代わりに、もし実行していたら…と考えを巡らせるだけです。

2人のメデューサ

疑念:恐怖の軍隊の司令官

恐怖は起こるものです。しかしもし恐怖のために何かを諦めたら、それはもう戻ってこないかもしれません。

私たちが行った何かが上手くいかなかったとき、疑念は私たちを見て思い出させます。それは例えば私たちが誰かを無意識に傷つけてしまったり、くだらない失敗をした時です。一言で言えば、疑念は、私たちがやっていること、やったこと全てに疑問を投げかけ、私たちが抱えている問題を倍増させます。

しかしそれだけではありません。私たちの不快感が増していくと、疑念は恐怖で構成されている軍隊を呼び、あなたの中を行進していきます。そしてこれが、起こりえる悪いことのイメージが私たちの思考を曇らせ、自分たちが本当にしたい決断をできなくさせる時です。

私たちは幸せで健康的で、苦しむことなく生きていきたいだけなのですが、この状況では疑念が活性化し、再び私たちを攻撃してきます。それが人生の一部であると分かってはいるものの、私たちが気分を良くしようとする時に限って罪悪感と恐怖、そして不安に苛まされるのです。

女の子と舞っている葉と鳥

不安、私たちを縛っている鎖

あなたは自分自身から逃げることができる。しょっちゅう、どれだけ遠くまででも。もしそこに長く居すぎたら、あなた自身の破片があなたの足を深く傷つけてしまうかもしれないから。
C.JoyBell.C

そして、不安はその姿を現し、私たちを疑念にかけ、行動を制限させます。もう一度やり直せばまた失敗するという恐れに私たちを鎖で繋いでしまっています。私たちが不安定な時、私たちは足場を失い、自信を失います。私たちは感情的なバランスを失い、恐れていることのイメージを内部で膨らませてしまいます。恐怖がもたらした混乱の中で、私たちが持っていた自己イメージがぼやけてしまい、私たちが何であるかを反映せずに、むしろその恐れていることを反映させてしまったのです。

つまり私たちは、私たちの行動に関係なく、現実ではない暗い未来の可能性に自分自身を根付かせてしまっています。私たちの自信が、私たちを遠くへ連れて言ってくれることは確かですが、その自信がなくなった時、一定のネガティブな自己評価に私たちを固執させてしまうということです。

罪悪感が疑念と不安の2人の親友を連れてあなたの人生に現れたら、現実に集中して、今あるものに集中することができれば、それらを打ち消すことができるでしょう。さらに、それは最高のあなたのバージョンにもなります。現実的に自分に掛けられた制限を洗い流すことに成功し、あなたはやっと自分の可能性に手が届くようになります。