カップルの自己陶酔的嫉妬とは?
恋人同士における嫉妬は、情熱と愛情が関係する複雑な感情です。また、エゴや権力が関わる場合もあります。自己陶酔的嫉妬もその多くの種類の中の一つです。個人のエゴに重きが置かれるのが特徴です。
恋人という関係には大抵、長期保証などというものはありません。ほとんどの場合がこのような保証がないために、多くの様々な要因に依存します。関係が終わりを迎える可能性は常にあります。
恋愛関係にある誰もがパートナーを失いたくないのは明らかで、第三者が関係をおびやかすのではないかと恐怖を抱くかもしれません。通常は、ここで嫉妬が出現します。これは抵抗と不安の表れです。しかし別のケースもあり、この感情の裏に他の面が隠れている場合もあります。
自己陶酔的嫉妬
ここまでは、「普通」であり動機のある嫉妬についてお話してきました。しかし、自己陶酔的嫉妬はこれとは異なります。
このケースでは、相手を失う恐怖が最優先の悩みになっているのではなく、第三者にとられることへのフラストレーションが大きくなっています。また、パートナーが他の人に抱くかもしれない喜びに対し怒りを感じるでしょう。
自己陶酔的嫉妬を抱く人は非常に苦しみますが、その理由は愛する人を失うためではありません。彼らが苦しむのは、自分のエゴが傷つき自分を特別視することが難しいと感じるためです。
他の人に愛する人を取られたからに傷つくのではなく、負けたという思いに苦しみます。ここから、権力の座から関係を作ろうとしたということがうかがえます。
特に、通常相手をだますことを伴うために、浮気が自己愛的傷を生むのは明らかです。一方で、通常の嫉妬なら苦しみや怒りが生まれますが、それも最終的には終わりを迎えるでしょう。関係が終わる、あるいはカップルで話し合い、解決法を見出すかのどちらかです。
ところが自己陶酔的嫉妬においては、こうはなりません。相手がその行為に対し「代償を支払う」まで諦めないのです。精神的に、時には身体的にさえ相手を罰していいと感じます。高い代償を払うまで「逃がす」ことはさせません。
自己陶酔的な人を好きになること/自己陶酔的な人に好かれること
自己陶酔的な人自体は悪人ではありませんが、こういった人にはサポートが必要です。悲しいことに本人がそれを認めるということは少ないので、衝突の解決が難しいのです。さらに、こういった人自身も混乱しており、同時にパートナーのことも混乱させます。
このような人にも、連帯感や相手を守ろうとする意思、魅力やバイタリティを表現することができます。ですが、その代わりに完全な愛慕を求めるのです。
自己陶酔的嫉妬は、エゴに基本的な傷がある人に典型的に見られます。自分はどこか欠けていると感じ、自分に高い価値を置くことでそれを補おうとします。また、大抵そのことに気づいておらず、すべては無意識に行われています。
壊れたエゴにより、嫉妬が自分が何者であるかの象徴になります。自分の疑いや不信を示すための第三者の出現は必要はありません。さらに、パートナーの達成や成功にも嫉妬します。自分のパートナーに、自分より下にある良い踏み台になってもらう、あるいは人生において自分が一番大切だと思ってもらうことを望んでいます。
嫉妬の誘発
自己陶酔的嫉妬にはまた別の一面もあります。この特性を持つ人は、パートナーを嫉妬させようとすることがかなり頻繁にあります。ですので、パートナーの目の前で他の人といちゃつくことは珍しくありません。あるいは極端な場合には相手を裏切り、「見つかる」ように明らかな証拠を残すこともあります。
パートナーを嫉妬させることで、自分が欲しいあるものを手に入れているのです。それが、「相手を不安にさせる」ことです。この不信感からパートナーに自分に目を向けてもらうことがねらいで、そうしてもらうのが大好きなのです。
自己陶酔的嫉妬を抱く人は、頻繁に相手を嫉妬させようとします。自分にはしてほしくないことを相手にすることも、その典型的な方法の一つです。
これは、パートナーがそういったことを自分にするかもしれないという思いから行われることが多く、自分のエゴが傷つけられる可能性を回避しようとしているのです。さらに、これは2人の関係で自分が主導権を握っていると見せるひとつの方法でもあります。
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Pozueco, J. M., & Moreno, J. M. (2013). Psicopatía, maquiavelismo, narcisismo y maltrato psicológico. Boletín de Psicología, 107, 91-111.