ガフク・ガマ族:平等と連帯を重んじる共同体

1962年に、フランス人人類学者のクロード・レヴィ=ストロースはニューギニアに暮らすガフク・ガマ族のコミュニティの習わしについて記しました。この民族にとって、ゲームとは単に楽しみや娯楽のためのものではありません。それは社会の価値観の縮図のようなものだったのです。
ガフク・ガマ族:平等と連帯を重んじる共同体

最後の更新: 28 9月, 2020

ニューギニアのガフク・ガマ族、あるいはガフク・カマ族は、西洋世界とは全く異なる慣習や道徳観を有しています。特に、対立や競争に関する考え方の違いは顕著です。彼らの共同体では、平和と調和を保つためにあらゆることを全力で行います。

彼らの独特な習わしについては、現代人類学の父クロード・レヴィ=ストロースが著書『野生の思考』のなかで説明しています。ガフク・ガマのコミュニティは、1930年に当時主にヨーロッパからやって来ていた修道士たちと接触するまで、一度も西洋社会との接点なしで過ごして来ました。

レヴィ=ストロースによれば、この修道士たちはまず、ガフク・ガマ族にサッカーを教えたそうです。すると、彼らはこのスポーツを彼らならではの価値観や慣習に沿った形に適応させていきました。

驚くべきことに、彼らはサッカーを敵対するチーム同士の闘いにはしないという決断を下します。その代わりにガフク・ガマ族は、両方のチームが引き分けるのに必要な分の試合を何日間にも渡って行い続けることにしたのです。

ガフク・ガマ族

ガフク・ガマ族

ガフク・ガマ族にとって、一方のチームが勝てば必然的にもう一方は負けねばならないという考え方はシンプルに受け入れ難いものでした。どちらに転んでも両者にとって不面目な結果になりますし、民族全体の安定性が傷つきます。そのため彼らは、サッカーをシンプルなゲームからある種の儀式のように作り変え、全く新しいレベルでこのスポーツを行うことにしたのです。

ニューギニアのこのコミュニティにおいては、連帯こそが最も基本となる価値観です。したがって、あるチームが相手チームに対して勝利を獲得するのを目的とするゲームを受け入れることなど、彼らにはできませんでした。ガフク・ガマ族は努力することをかなり高く評価していますので、彼らにとっては選手がどれだけ頑張ってもそれに関係なく一方のチームが負けてしまうというのは非常に不公平に思えたのです。

これと同じ理由のために、彼らによるサッカーの試合は数日間続くことがしばしばでした。その究極的な目的は両チームが引き分けることだったとは言え、どちらかが勝ちを譲るようなことが許されるわけではありません。そのような行為は不正だと見なされるでしょう。最終的な目標は、両方のチームが成長し、全員が同じレベルになるまで前進することでした。引き分けることで、両チームが同時に勝者にも敗者にもなるのです。

競争することと引き分けること

おそらくみなさんは、ガフク・ガマ族は例外的な存在だと思われるでしょう。実際に人間行動理論の多くは、戦争や競争、そして対立を人間本来の性質の一部だと断言しています。理論上では確かにそれは正しいのかもしれません。しかし、多くの文明において、競争や対立よりもむしろある種の連帯が促進されています。

古代ギリシアの時代以前まで遡ると、ガフク・ガマ族と似たような価値観を持つ古代文明が存在していた証拠が見つかります。事実、アラスカのイヌイットなどいくつかの集団は、その長い歴史の中で一つも戦争を起こしたことがありません。

こういった民族の多くが資源の少ない地域に暮らしているにも関わらず、彼らの決断は限られたものを巡って競争するよりも、全員の利益のために結束し続けるという解決策を取ることだったのです。全員が勝つと同時に負けてもいるので、ある意味ではこれも引き分けの一形態だと言えるでしょう。

世界の反対側のパタゴニアにも、似たような慣習や価値観を持つ共同体が存在しています。例えばヤーガン族、またはヤマナ族は、今や「白人」の介入の影響で人数がかなり減ってしまっているのですが、この民族出身者が何らかの戦争に参加したという記録を一つも持ちませんし、別の共同体と物理的な衝突があったことも一度もありませんでした。

ガフク・ガマ族:平等と連帯を重んじる共同体

ガフク・ガマ族から私たちが学べることは?

こういったコミュニティで見られるような慣習や習わしのいくつかを私たちがもっと受け入れられれば、心配やストレス、不安などに苦しめられることがかなり減るでしょう。私たちの抱える問題の多くは、成功や失敗に関する不健全な強迫観念から来ています。また、夜眠れない原因にもなる劣等感や優越感といった感情や、対立にうまく対処できない無能さ、そして結果として生まれる願望などもこの問題を生み出す要因です。

ガフク・ガマ族に見られるような価値観は、成長したいという集団的意志であり、個人の成長だけでは不十分であることを示しています。自分とともに成長しようとする他者を手助けすることができて初めて、その作業は完了されるのです。

私たち全員が、公正さと平等さの感覚、つまり、自分自身と同じくらい他人のことも高く評価できるような普遍的な正義の原理の感覚を得られた時に、もっと平和な感情を抱くことができます。これこそがまさに、そういった古代文明が個人および集団の平和を確実なものにしようと新しいゲームと古い慣習とを組み合わせることで行なっていたことなのです。


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  • Araújo, J. (1996). XXI, siglo de la ecología: para una cultura de la hospitalidad. Espasa.


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