自分の味方になる
おかしなようですが、自分が一番の敵であるかのように振舞う人は多いものです。敵対的な心をもっています。自分との会話が暴力的で思いやりがありません。こうある必要があるでしょうか?自分の味方になりましょう。
通常、自分との会話がこのような人は非難や制限が異常に多い環境で育っています。子育てが彼らを壊しているとでもいうような生育環境の被害者です。完全に服従的になった子供を、自分たちの達成として誇りに思う親がいます。そんな学校も存在します。
そんな中、子どもは他人からの指差し、批判と罰を内部化してしまいます。自分はいつも間違っていると思ってしまうのです。正しいことは一つもできないように感じます。考えること感じることすべてが受け入れられないようです。あなたもそうであれば、自分の味方、友達になる方法を学びましょう。
「敵の声が非難するのであれば、友人の沈黙が非難する」
-アンヌ・ドートリッシュ-
敵とともに眠る…
一口に自分の敵であると言っても、その在り方は人によって様々です。基本的には上述したような非常に厳しい意識として現れます。冷たい内なる批評です。間違いばかりしているように感じます。何をしても、内なる小さな声が怒ります。
もう少し分かりにくい、または間接的な現れ方をすることもあります。例えばある状況で不安だったりおかしな行動をしてしった時、それを見た自分が後でその不安さを責めます。
成功にパニックを見せることもあります。成功の可能性がみえると恐怖に埋もれます。その結果、成功を妨害する行動に陥ってしまいます。文字通り、一番の敵と生きているようです。
味方になろう
自分の味方になるとは、配慮と尊敬の目で自分を見たり世話することです。親友にそうするように、自分を元気づけたりサポートします。これが不可能だと感じる人もいます。なぜでしょう?
自分との関係を築くことに対して、誤った考えを持っているからです。例えば、自分に厳しくないということは、弱く、個性に欠け、平凡であるというように思うのです。自分を酷使し、強く求めることで成長すると考えています。
自分の味方であることは良くないと信じています。利己主義、自己陶酔のサインだと考えてしまいます。その一方で、自分を卑下することが謙遜のように感じます。これを美徳だと言う人もいます。
自分と良い友達、味方になる方法
深い無意識の世界に、はっきり引かれた境界線があります。自分の味方でいることは、自分の愛するまたは恐れる人を裏切ることになると感じます。その両方かもしれません。この誤った思いにより、自分の味方になることはモラルの下落だと感じます。
ここではっきりさせておきたいのは、自分に優しいことと、無責任でわがままであることは違うということです。成長し大人になるにつれ、私達は自分の成長、目標達成、物事を果たす助けをしてくれるものが必要となっていきます。しかし、わがままと自責という極端な二つの間には、様々な点が存在しているのです。
自分の味方でいることは、自分に良く接するということです。自分を受け入れ、敬いましょう。あなた自身も含め、この世界にいる誰もが間違うことがあるということを理解しましょう。
実際、間違いから私達は前へ進み、何かを学び、経験を得ることができるのです。自分を酷評することは、間違いの未熟な処理法です。何も得ることはなく、自分を傷つけるだけです。
自分を頼ることができなければ、誰を頼れるでしょうか。人生の険しい道を進むには、味方が必要です。まず、自分を味方につけましょう。自分というもの、今あるものに感謝しましょう。皆と同じように人間であることを、日々受け止めましょう。自分を好きでいられると、人生は豊かになります。