自分の両極性を認めて自分らしくなろう
自分の両極性を受け入れると、より自分らしくなれます。「自分」がもっと本質的に本物になります。本当の自分へ近づくための道を歩み始めましょう。あなたで始まりあなたで終わる道です。
そもそも両極性とは何でしょうか?ここでお話ししているのは、2つの全く異なるスペクトラムの両端です。この両極端は本質的に相反するものです。ひとつは光、もう片方は闇です。ひとつは受け身、もう一つは活発です。 ひとつがはっきりしていれば、もう片方はぼやけています。
心理的なレベルでは、次のような両極端が見られます。悲しみと幸せ、多幸感と落ち着き、外向的と内向的、女性らしさと男性らしさなどです。これに自分自身を加えることができます。
これらの両極性は誰だって経験したことがあると思います。悲しみや幸せを感じたことがない人なんていないですよね。いつもは落ち着いているのに、異常に喜ぶことだってありますよね。
文化は両極性の重要な部分であっても、やはり自分の中にあるもの
両極性は、様々な意味での人生です。これこそが人生のあるべきを示していて、人生が与えてくれるものです。光を探していますか?人生には暗闇もあります。これらの両極性を見抜いて、どちらかの末端にいるときどのような影響を受けるかは、人として成長することの一部です。
文化、社会的な規範、遺伝子… これらのものは片方のスペクトラムを黙らせ罰します。両極端の片方が、静かになります。これによってあなたという人間の一部が切り離され、成長ができなくなります。伸びようとしているのに切られてしまう葉のようです。成長するために使うエネルギーが破壊されてしまうのです。
しかし、エネルギーはまだそこにあります。自然に出てこなくても、ちょっと不健全に少し激しく飛び出してきます。これが両極性において起こることです。
自分のことを穏やかで忍耐強い人と見ているのに、時に暴力的できつくなって自分自身に驚かされたことはないですか?自分のことを神経質で落ち着きのない人間として見ているのに、落ち着いて穏やかになって自分を驚かせることはありませんか?
両極性の片方を否定することは自分自身を否定すること
それは自分の本質です。どちらの両極端もです。あなたは攻撃的でかつ優しく、穏やかで神経質です。あなたは光であり闇です。自分をスペクトラムの片方において、反対側を頑なに否定してしまうことがよくあります。「穏やかな人間で、怒ったりなんかしない!」「自立していて、助けなんかいらない!」。
それから、自分の本質の一部を否定して、他の人をひどく非難します。自分の嫌いな部分や、社会が自分に求めているものを受け入れられなかったら、他人の中にそれを見て嫌になります。でも、自分の中にあるその嫌な部分は見えません。「自分の一部」ではないからです。「わたしは落ち着いた人間で怒ったりしない。」でも他の人が同じようなことをしていると、怒りを感じます。
自分が誇っている部分や文化が強化している部分を自分の一部と認識します。男性らしくあることと「女性らしく」あること(あるいは社会が期待する女性らしさ)は、ある文化ではおかしいと考えられるかもしれません。しかし、別の文化では当たり前で普通のことです。
否定することをやめて自分の両極性を受け入れれば投影しなくなる
自分の両極性を認識できたら、受け入れることができます。それを受け入れることができたとき、自分の嫌いな部分を人に投影しなくなります。
他の人が同じような問題を抱えていても、それを非難することなく理解することができるようになってきます。動揺することなく落ち着いて見ることができます。自分の嫌いな部分をもう他人に投影していないからです。ただ気づくだけです。
「本当の自分は見えない。見えるのは影だけ。」
-ラビンドラナート・タゴール-
自分らしくいるよう努力しましょう。両極性を受け入れてください。自分を受け入れるほど、人を拒否することがなくなります。偏見が少ないほど、自由になります。自分を受け入れたら、自己愛で自分を変えられます。