高齢と人生最期のステージ:子供が親になるとき

高齢と人生最期のステージ:子供が親になるとき

最後の更新: 23 12月, 2017

今日、ほとんどの親はとても長生きします。しかし、これには健康状態の低下も含まれ、私達によるケアや保護、愛情や注目を要します。

だから、親が死に近づくと、私達は皆親になると言われるのです。なぜなら、今度は親を抱きしめたり、親に食事をさせたり、言葉や世話で親の心に触れたりするのは私達の番だからです。愛情を通して、親が私達の生活にもたらしてくれた温かさを私達が親に思い出させてあげる時、私達は親の心に寄り添う杖となります。

高齢と人生の最期のステージを否定的な形で見るのは一般的なことです。しかしながら、そうしたステージを美しいステージ、また哀しみを乗り越えるために必要不可欠なステージとして考えるべき多くの理由があります。

その時を自分の親や祖父母と共有することは、ある意味、さよならの始まりを象徴とする愛の必要性を共有することを意味します。それは、さよならを言うのと同じ力をもって私達に命を与えてくれ、また成長させてくれた人達を支えることなのです。

赤毛の女性と青毛の老人

高齢の親からのメッセージ:

私が記憶を失い始めたり、会話の内容が分からなくなったりしたら、思い出す時間を下さい。私が自分で食べられない時、事故に遭った時、あるいは立ち上がることすらできない時は、辛抱強く助けて下さい。

私が年を取っていて、痛みがあるからといって絶望しないで下さい。私のことを恥ずかしいと思わないで下さい。私が外に出て、新鮮な空気を吸って、太陽の光を楽しめるように助けて下さい。私がゆっくり歩くからといって痺れを切らさないで下さい。もし私が叫んだり、泣いたり、過去の喧嘩を持ち出したリしても、憤慨したりしないで下さい。

あなたが私を支えられるように、かつてあなたが支えを必要としていたころを思い出して下さい。私には家族において新しい使命があるのです。だから、あなたに与えているこの機会を逃さないようにお願いしているのです。年を取った私も愛して下さい。なぜなら、髪は白くなっても、私は未だに私なのですから。

手を取り合う老人

人生の最後のさようなら

親が年を取っていく時の子供の役目を考えるにあたって、ファブリシオ・カルピネジャールは、この暗い時に光を与えてくれる素晴らしい作品を書いています。大抵の場合、「大丈夫だ」と感じるのはかなり難しいことです。なぜなら、あなたに話し、食べ、歩き、成長することを教えてくれた人との「さよなら」と直面しているということを忘れられないからです。

次はカルピネジャ―ルが書いたものです。

「家族の歴史の中で歓喜に溢れる時がある。年が重ねられ、物事の自然な秩序のつじつまが合わなくなる時だ。それは子供が親の親になる時である。

それは親が年を取り、雪の中を動いているかのように歩き始める時である。ゆっくりと、ゆっくりと、不正確に。それは、あなたが幼い頃に手を力強く握ってくれた親が、もう一人になりたくないと思う時である。かつて強く無敵だった親が弱り、起きる前に一息つかなければいけない時である。

それは、かつてあなたを指示し命令していた親が今となってはただ息をし、うなり、今はもう自分から遠くなってしまったように見えるドアや窓を探すことしかできない時である。かつて覚悟があり頑張り屋だった親が、自分の服を着ることがままならなくなったり、薬を飲むのを覚えられなくなったりする時である。

子供である私達は、何もできないが、親の人生の責任を担うということを受け入れることはできる。私達という存在を作ってくれた命が穏やかに死ぬことは私達の肩にかかっているのである。

ハトにキスをする老人

親が死ぬ時、子供はそれぞれ親になる。おそらく高齢の親の世話をすることは奇妙なことに妊娠のようなものだろう。それは最後の学ぶべき教訓なのである。彼らが私達に長年与えてくれた愛とお世話をお返しする機会なのだ。

ちょうど自分の赤ちゃんの面倒を見るのにコンセントをブロックしたりベビーサークルを設けたりして 家の準備をするように、今、私達は親を受け入れるためにまた家具の模様替えをするのだ。最初の変貌は浴室で起きる。親の親として、シャワーに手すりを取り付けるだろう。

手すりは象徴的だ。手すりはシンボルだ。なぜなら、通常単純で爽快な気分になる入浴が、私達の保護者の年老いた足にとっては嵐になってしまったからだ。一時も彼らを一人にすることはできない。家には壁に留め具があるだろう。そして、私達の腕は手すりのように伸びるだろう。

年を取ることは物にしがみつきながら歩くことだ。年を取ることは段のない階段を上っていくようなことですらある。私達は自身の家において他人同士になるのである。

散歩する老人と子供

私達はあらゆる細かなところまで恐怖と不確かさ、そして疑念と不安をもって観察するだろう。欲求不満に苛まされた建築家になり、デザイナーになり、エンジニアになるだろう。親が病気になり、私達を必要とするであろうとどうやったら予期しないでいられようか?ソファや、置物の像、らせん階段を後悔するだろう。全ての障害やカーペットですら後悔するだろう。

幸せなのは親が死ぬ前に親の親になった子供である。そして、不運なのは葬式にしか顔を出さず、毎日ちょっとしたさようならを言えない子供である。

私の友達、ジョーは父親の最期の時を共にした。病院で、看護師がシーツを替えようとベッドから担架へと彼を動かしに行った時、ジョーが椅子から『僕が助けるよ』と呼びかけた。

彼らは力を合わせて、父親をジョーの膝の上に初めて座らせた。ジョーは父親の顔を自分の胸に寄せた。自分の肩に寄りかからせた父親はガンで縮み、小さくて、しわだらけで、脆くて、震えていた。

花を手にする老人

ジョーは父親を抱きしめるためにしばらくの間、自分の幼少期と同じくらい、青年期と同じくらい、長い間、終わりのない時間の間、そこに留まった。 父親を前後に揺らしながら。父親をそっと撫でながら、父親を落ち着かせながら。そして、ジョーはつぶやいた。『僕はここにいるよ。ここにいるよ、父さん。』父親が自分の最期に聞きたい言葉は息子が言う側にいるよという言葉だ。」

両親の面倒を見ることはとても疲れることかもしれませんが、この悲しみと疲れは、私達が向き合わなければならないものであることを忘れてはいけません。それは、私達の魂の一部、幼少期へのさよならの一部なのです。

親と共に、私達は誰とも共有しなかった、他の誰もが目撃しなかったあらゆることを失います。これは、人生が与えてくれている大きな個人的成長のための機会です。この機会を逃すわけにはいかないのです。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。