親の承認と愛情:子供への一番の報酬

· 2017年10月10日

子供を育てることは簡単な作業ではありません。事実、子育ては絶えず挑戦、発見、報酬、そして罰に満ち溢れた旅です。もしかするとあなたは母親でも父親でもないかもしれませんが、子供と時間を過ごす機会はきっとあったことでしょう。子供はあなたとの全ての可能性を探索していて、私たちの思う以上に賢いのです!大学に行ったこともなければ、業務経験があるわけでもないのに、子供はしばしば自分の欲しいものが明確で、その目的のためなら全てのエネルギーを結合させることができます。子供は単純でいて、効率的です。

子供は目まいがするような、新しいことを試みるのを止めない学びの道を辿ります。その中で転び、また起き上がります。ある道を試してみて、もしうまくいかなければ、別の道を試します。こうした試みの中で、子供は正されなければいけない行動を起こします。これが子育てには知力と手際よさが必要な理由です。長いお勤めと他に義務をこなした後では、もうこれ以上エネルギーを得られることは確かにないでしょう。ですから、子育てには賢くあることの他に選択肢はないのです。

罰をもって子供に教える

罰は従来の子育ての一部であり、ここで話題にするには多様な種類が存在します。つい最近まで最も身近で社会的にも受け入れられていたものには、平手打ちしたり、おしりを叩いたり、ベルトで鞭打ったりというものがありました。そうすることで、親は子供に子供が起こした行動と痛みを結び付けて覚えていて欲しかったのです。

家より大きい子供

罰の別の形には、悪い行動の後に子供の特権を取り上げるものがあります。子供が好きな何か、例えばテレビを見ることであったり、公園で行くことであったり、好物の食べ物であったり、大好きなおもちゃの一つであったりです。

他にもまだありますが、ここでお話する最後の罰の形は、子供に嫌なことをさせることです。例えば、部屋の掃除や、もっと勉強すること、日常生活からは通常外してしまっているような特定の活動にもっと時間を費やすなどです。

この記事では、子供を育てるのは簡単ではないというところから始めました。まず、正しい形と正しいタイミングで罰を与えることはすぐに平手打ちをくらわせるよりも高い知力が必要になります。良い罰は違反行為と釣り合った行動の結果として宣言され、子供の責任者によって一貫してすぐに適用されます。そして、引き起こされうる損害に対して効果的な賠償となります。

そうだとしても、罰には二つの大きな問題が浮上します。一つ目は権威者が罰を要求し、それが遂行されるのを確認しなければいけないことです。つまり、子供が罰に相当する行動を取りつつも、あなたがそれに気づかないリスクを背負うということです。そのため、罰を適用しないことで、子供がその行動を止めず、あなたの目をくぐり抜けることを学ぶのです。

二つ目の問題は、罰は大して教訓にならないことです。罰は悪い行動を指摘しますが、それに代わってどんな行動を取るべきかについては言及しません。そうなると、より順応性に乏しい行動に取って代わられるかもしれないことを意味します。例えば、注目を浴びたくて人を罵る子供を罰するとします。もし罰すると、子供は罵る行為を今度は叩くことに置き換えるかもしれません。そうなると、あなたは何も達成したことになりません。

報酬をもって子供に教える

報酬と承認は何をもたらすでしょうか?幸福です!幸福とはなんと実に美しい感情でしょうか。それだけでも、私達は子供に報酬と承認を教えるべきです。少し前に、私は緑のペンの力に書かれている記事を読みました。その記事は教師が自動的に行っていることについて公然と非難していました。尚且つ、親が試験の〇付けをすることはないものの、子育てにも関連することについて公然と非難していました。赤ペン(修正)の乱用と緑のペン(称賛)の使用不十分について書かれていたのです。

緑のペンを使うことは子供がよくできたことを指摘することを意味します。それは子供にその行動をその方向で続けることを承認し、励まし、動機付けることになります。緑のペンで〇付けをすることの何が難しいでしょうか?

緑のペンはインクで教育する人の考え方に魔法の力をもたらします。世間は失敗に焦点を当てる親や、そうした行動が普通とみなされて褒めることすらしない親でいっぱいです。そうした親は承認することで子供の行動を特筆すべきものにすると、それがその行動を強化させることに気づいていないのです。

実は、私達はしばしば煩わしいからという理由で子供を直すことから始めてしまいます。「うるさくしない」、「食べる時に音を立てない」、「ベッドで飛び跳ねたりしない」、「汚い格好をしない、そうじゃないと後でキレイに洗わないといけないでしょ。」小言が何であれ、背景にあるメッセージは明確です。それは「我が子よ、私に面倒をかけないで。」私達が静寂を主張する中で、活力にあふれた幸せをも罰してしまっているのです。

口論する親

しかしながら、子供が読んでいる時、粘土で静かに遊んでいる時、またはテレビ番組を注意深く見ている時、私達は何も言いません。懲戒がないことが子供が取る行動が良いと教える私達のやり方なのです。これって悲しいことだと思いませんか?

ここでは、子供におもちゃを買ってあげたり、公園に後5分長くいさせてあげたりすることについて話しているのではありません。ここで話しているのは、子供にとっての一番の賞品です。それは、親が子供によくできましたと言ってあげること、駆け寄ってハグをしてあげること、または一緒に読んだり、遊んだりしてあげることです。子供にとってこれ以上のプレゼントがあるでしょうか?