価値教育は社会全体の責任
価値教育とは、広範囲の内容を扱う曖昧なコンセプトです。そして、親や社会も共に取り組むべき教育です。しかし、私たちは価値教育に意味をあまり見出さない傾向にあります。価値教育は後回しにし、良い成績をとるため暗記にエネルギーを費やすのです。
世の中にはテストで90点を取るよりも大切なことがあります。学期末の優秀な成績を最終目標にしてはいけません。敬意、責任、地域社会、社会的意識を目指す方が遥かに重要です。また残念なことに、価値教育を「社会を変える方法」と考えている人も中にはいるようです。
不可欠な価値教育
学校でのいじめはなぜ無くならないのでしょうか。子どもたちに対して、親が何の権限も持たないようになったのはいつからでしょうか。そして、なぜ若者は社会に対して無関心なのでしょうか。理由は明白です。子ども達に伝えるべき価値観を価値教育で教えていないからです。
それは、このような教育にはある種の努力を伴うことを意味しているからかもしれません。何よりも、価値教育には時間がかかります。そして、多くの親や教育者は十分な「時間」を子どもたちに割いてあげられていないのが現状なのです。私たちは少しわがままになってしまったのかもしれません。あるいは、子どもたちの将来にあまり興味がないのかもしれません。
「平等と尊敬についての教育は、暴力に対しての教育だ。」
-ベンジャミン・フランクリン
私たちは子どもたちに価値について教えているつもりになっていることがあります。あれはダメ、これはダメと言っていませんか?制限やルールを設けていませんか?恐らくそうしているはずです。しかし、親として自分が模範となって教えていますか?子どもにはゴミをゴミ箱に捨てなさいと言っているのに、自分は床にゴミを捨てていては意味がありません。あるいは、自分の姉妹とは仲が悪いのに、子どもには姉妹と仲良くしなさいというのも間違っています。
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最も優れた教育とは、自らが模範となって教えることです。そして、一番重要な価値観は言動で伝えるのです。子どもが他の子に平等に接してほしいのであれば、まずは大人の私たちがそうするべきです。
このようなことから、価値教育は不可欠であり必要と言えます。子どもや若者たちだけのためでなく、大人のためにもなるからです。私たちが子どもの頃に身に付けられなかったことを、再度身に付けるチャンスが価値教育にはあるため重要なのです。
価値教育の最も重要な面
価値教育は、クラスで触れるだけでは不十分です。価値教育は学校の全ての科目に取り入れられる必要があります。また、各家庭や社会全体にも浸透されるべきです。それでは、価値教育の柱とは一体何なのでしょうか。
- 消費主義と消費の習慣などについての批判的思考を促進する。
- 人種、文化、性別、国籍、宗教にかかわらず、すべての人のための平等に焦点を当てる。
- 環境を壊すのではなく守ること、そして楽しむことを教える。
- 他人のセクシュアリティの受容について教える。
- 責任ある消費を促進し、良心に従って決断を下す方法を教える。
価値教育では以上のようなことを子どもたちに教えようとします。上記のリストを見れば、価値教育の目的や目標が見えてくると思います。しかし、ここで大きな疑問が生まれます。なぜ学校や家庭で価値教育が行われないのでしょうか。もしかすると、それは教室ではシラバス(授業計画)や時間割の方が遥かに大切だと見なされているからかもしれません。そして、家庭では、自分が学んでいないことを子どもに教えることが出来ないからかもしれません。
「教育の目的は事実についての知識ではなく、価値観についての知識である。」
-ウィリアム・S・バローズ
価値教育について知り、理解することで新しい道が開けます。価値観について深く考え、若者と分かち合うあらゆる可能性を広げるのです。
生い茂った恵み豊かな自然を燃やすなどして、環境を大切にしない人について不平を言うことはしばしばあります。あるいは、人種差別や様々な性的指向の表現の理解が進まないことに対して不満を漏らすこともあります。しかし、不平を言うだけでは事態は変わりません。それでは何の意味もありません。
一番の方法は、価値教育を優先することです。価値教育とは個人を形成し、その成長を助けるためにあるからです。大切なのは何をどのくらい知っているかだけではなく、人としてきちんとしていること。そして、このような教育は社会全体の責任であることを忘れてはいけません。