恐怖から生まれる「目立ちたくない」という願い

誰の目にも止まらない存在になりたいという願望の起因となっているのは、私たちが人生を通して獲得していく社会的信念や文化的信念です。
恐怖から生まれる「目立ちたくない」という願い
Sergio De Dios González

によってレビューと承認されています。 心理学者 Sergio De Dios González.

によって書かれた Raquel Lemos Rodríguez

最後の更新: 21 12月, 2022

私たちが子どもの頃は、恐怖や恥、あるいは心配事を抱えることなく生きていました。自分自身を、そして自分の能力を信頼できていたということです。だからこそその頃は光り輝いていられたのです。しかし大人に近づくにつれ、私たちの自信は揺らぎ始めます。そしてついには誰からも気づかれない目立たない存在になりたい、とまで思い始めてしまいます。

この、誰の目にも止まらない存在になりたいという願望の起因となっているのは、私たちが人生を通して獲得していく社会的信念や文化的信念です。これらの信念は年齢を重ねるごとに強まっていきます。ただ、その内容によっては一部の信念が私たちに制約を与えることがあります。例えば、「人前で話すのが下手だと他人から出来損ないのように思われる」という信念があり、実際にそれが起きてしまうと、おそらくそれ以降その子は一生人前で話すのが嫌いになってしまうでしょう。また、本当はそれほどでもないのに、自らをひどい話し手だと考えるようになってしまうかもしれません。

こういった信念の一部は、ただ私たちの恐怖心を助長するだけです。ひとりぼっちになる恐怖、誰にも愛されない恐怖、そして注目してもらえない恐怖。さらに、完璧な家族を持てないのではないかという恐怖、良い成績を取れないのではという恐怖、あるいは他人を失望させてしまうのでは、そして期待に応えられないのでは、という恐怖もあります。本来の自分とは何の関係もないラベルに自己を重ねることに固執し続ける限り、恐怖心が原因で誰からも気づかれない存在になりたいという願いが生まれてしまいます

家族が原因で目立ちたくないと思い始めてしまう場合

私たちが暮らしている社会は、いつも人々をこき下ろそうとします。そのせいで私たちは自分と他人とを比較してしまい、自らの欠点を虫眼鏡で全て分析しようとしてしまうのです。では、長所はどこへ行ってしまったのでしょうか?強みだったはずのものは物陰に隠れてしまい、再び日の目を見る日が来ることを願いながらそこで私たちに気づいてもらうのを待っています。これが実現して初めて、私たちは自らの完全な潜在能力を把握することができます。

では、私たちに目立ちたくない、と思わせるこのような恐怖心はどこで形成され始めるのでしょうか?普通、これが始まるのは家庭内からです。家庭は私たちが最も多くの時間を過ごすところであり、全てが順調に進んでいる限り、とても快適な場所となります。

“私たちの最大の恐怖心とは、自分は社会に不適切な存在であるという恐れではない。最大の恐怖とは、自らの途轍もない力強さなのだ。私たちを最も怯えさせるのは暗闇ではなく、自らの光である。私たちは自分自身に問いかける、「私ごときが聡明で美しく、才能に溢れた素晴らしい人物になれるわけはないだろう?」と。しかし、なぜそうあってはいけないのだ?”

-ネルソン・マンデラ-

恐怖心

しかしその典型例から外れ、自らの行動が家族の期待するものと異なるものになってしまった場合、そのような安心感や安全という感覚は消え去ります。そしてこの時、恐怖が私たちの心を埋め尽くし始めるのです。肉体労働がかなり評価されている家族の例で考えてみましょう。その中で、あなたは芸術やプログラミングの世界で働くことを決意するとします。家族の中の誰かから「そんなの本物の仕事ではない」という言葉が出てくるまでにそう時間はかからないでしょう。もちろん正確にそのセリフが聞こえてくるとは限りませんが、同じようなニュアンスのことを言われてしまうはずです。

サポートしてくれると思っていた人たちから理解してもらえないという事実は、私たちの自信を脅かします。また、私たちの自己に対する価値評価にも影響する恐れがあります。

私たちは、家族の信念や行動様式に何とかしがみつくことで、安全な場所にいるという感覚を手に入れることができます。親が子に対して抱く期待としてよく見られるのは、親と同じような人生をあゆみ、同じような業界で働いてもらいたいという期待です。しかしそれに居心地の悪さを感じてしまうと、親に対して抱いていた守ってくれているという感覚は崩壊し、あらゆることが恐怖心に屈して希望は消失してしまいます。

目立つ存在になりたくない、と思わせる三つの恐怖心

私たちを他の人から気付かれず、周りと似たような目立たない存在にさせるシナリオは、家庭環境だけではありません。そのほかにも、社会に存在する特定の信念が原因で成長し、根付いてしまう恐怖心はたくさんあります。ここからは、真の自己を表舞台から遠ざけてしまう三つの恐怖心について見ていきましょう。

1. 他人の嫉妬心を呼び覚ましてしまうことへの恐怖

人は全員が何らかの形で独特であり、それぞれ特別な能力や生まれながらの才能を持っていて、私たちはそれを使って周囲から認められたいと願っています。しかし、もしその力のせいで際立った存在になってしまうと、他の人々の心に嫉妬が生まれる恐れがありますそうなると、周りから批判されたり好き勝手に意見を言われたり、拒絶されたりする事態が起こるのは避けられません。

一部の人にとっては、彼らの過去の経験にもよりますが、このような状況は耐え難いものです。なぜなら私たちには他人からの承認を得ようとする傾向があるからです。光り輝きたいけれど実際にそうなってしまうのは怖い、この心理状態が、二つの選択肢を生み出します。それは、異彩を放つ存在となり、自分自身と自らの能力を世に知らしめるか、あるいは誰からも気付かれない存在になり、周りの人が期待するような人間になろうと務めるかの二択です。

“嫉妬深い人々はいつも誰かを持ち上げたり見下したりして、欠点を探す。そしてそれを見つけるとコメントを残す。見つからなかったとしてもでっち上げるのだ”

-発言者不明-

恐怖から生まれる「目立ちたくない」という願い

2. 孤独になることへの恐怖

孤独になることへの恐怖は、多くの人に影響を及ぼしている恐怖心です。これは、人から受け入れてもらえるよう、私たちを相手の考えている内容に従って行動させる信念です。例えば、本当の自分は冗談好きでいたずら好きだったとしても、友達からそのことを恥ずかしく思われているのであれば、見捨てられてひとりぼっちになりたくないが故にそのような性格を変え、本心の一部を抑え込もうとするでしょう。

簡潔に言うと、私たちは他の人から受け入れてもらうために目立たない存在になることを選んでいるということです。しかし、以下の質問を自問してみるべきです。「私は本当にありのままの自分を受け入れてくれないような人たちと一緒にいたいのだろうか?」とは言え、一人になるということはコンフォートゾーンを抜け出すことと同じようなものです。このため、自分を本心から受け入れてくれるような友人やパートナー、あるいは人物を探すのを躊躇してしまいます。

ここでもし本来の自分を変え、隠そうと決意してしまうと、今後本当の自分は誰なのだ?と自らに問いかける時が訪れるでしょう。他人が期待するような人物になるという選択は、ほぼ自分自身への裏切り行為と言っても過言ではありません。これは真の自己への拒絶の一種であり、それが長期的に私たちを苛立たせ、不愉快にさせることになります。自己を再発見するためには、自分が本当に恐れているものと向き合うというプロセスを乗り越えなければなりません。難しい道のりになりますが、ゴールに近づくにつれて徐々に満足感を得られるはずです。本当の自分を取り戻すことほど美しいことなどこの世に存在しないのですから。

3. 世間に見せているアイデンティティを失う恐怖

幼少期に家族から、自分は何も受け取る価値のないような存在だと教えられて育つと、その教えに従って考えたり行動するようになってしまう可能性が極めて高くなります。こうなると、自分には才能などあるはずがないと考えてしまうだけでなく、愛情を受ける価値もないと信じ込んでしまう危険性があります。「自分には価値がない」というアイデンティティが確立されてしまうのです。

恐怖 目立ちたくない

奇妙なことに、私たちは人から教えられた自己像を失うのを恐れます。本当の自分とは一致しないアイデンティティ、つまり強制的に受け入れさせられてきたアイデンティティがなくなることを恐れるのです。だからこそ、どんな形であれ成長あるいは前進することが非常に困難になります。

私たちは思い思いの自己の姿、他人から押し付けられた自己の姿に従って機能するような世界を自分自身のために作り上げて生きてきたのです。このため、自分でも気付かないうちに、あるいは自ら望んで愛されているというサインから逃れようとしてしまいます。

従って、こういった事柄をいったん全て「忘れる」ことが重要です。そして心の中の奥深くまで潜り込み、本物の自分自身を見つけ出さねばなりません。なぜでしょうか?それは、私たちが目立たない生き方を選んできたのは、他人が自分に対して抱く意見は正しいものだと信じ込んでいるせいだからです。

“雨粒の中に自らの姿を見出しなさい。虹の色の中に、空の青さの中に、そして大地の力強さの中に、どこからでも良いのです。ただ自分自身を見つけなさい”

-アレハンドロ・ホドロフスキー-

確かにこれまで私たちは目立たない生き方を選んで生きてきたのかもしれません。しかし、今からでもそれをやめる決断をすることができます。他の人から押し付けられたラベルは取り払い、自分にとって制約にしかならない恐怖心を拭い去るのは今からでも遅くはありません。自分自身の中から、最強の味方を見つけ出そうとすることは可能なはずです!


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。