怠惰のふりをした恐怖
人生のどこかで、友達と会うのも、自分で取ることを決めた講義に出席するのも、なにもかもが面倒に感じたことがきっとあったと思います。行きたいという気持ちもあるのに、その時が来ると、あるいはその数日前になると、怠け者がその醜い頭をもたげるのです。しかし、それが実は怠惰ではなかったとしたら?それが本当は恐怖だったら?怠惰のふりをしている恐怖だとしたら…
私たちの感情の多くは、お互いの背後に隠れあって私たちを混乱させます。まるで変装することで私たちから隠れ、感情という迷路で私たちが理性を失わないようにしているかのようです。もし私たちがそれを見つけて、迷路で迷子になってしまったら、それは私たちが自分自身のことを知らないからです。感情が成熟するにはまだまだ時間がかかるのです。
なぜ面倒くさく感じるのか
怠惰さは自分を守り、したくないことをしないための方法でしかありません。友達と会うことになっている日がやってきたり、履修したコースが始まると、私たちは無気力になります。私たちの思考はぐるぐる回って、本当はやりたくなかったことにイエスと言ってしまったんだという結論に達します。
こういった状況には非常に注意しなければなりません。もし初めにやりたいと思った気持ちがポジティブだったとしても、怠惰さがそれを変え、今はやりたくないと思っています。それは、あなたが何かから逃げているということなのです。あなたは友達といて居心地がいいですか?友達となにかありましたか?公共の場に行くことや新しい人に会うことが怖いですか?
危険なサイン
怠惰のふりをした恐怖は、危険の可能性を警告してくれています。それは私たちが直面したくない何かを思い出させます。その状況がまさに現実になろうとするまで、あまり考えてこなかった何かのことを。
そしてその時になると、心の中で目覚ましのアラームが鳴ります。私たちを怖がらせ、自分の快適域から踏み出させる何かと対峙しないためには、何が使えるか。それを一言で言うと、怠惰さなのです。
怠惰さは、あなたが大きな恐怖から隠れようとしているときには大きな罠になりえます。「そんな気分じゃないんだよね。」とか、「ノーが言えるようにならなきゃな。」、「もっときっぱり言わなくちゃ。」といったようなことを言うのは、もしかしたら本当は怖いことから隠れているのかもしれません。
怠惰さは私たちの救世主です。それは恐怖から隠れるための防御反応です。しかし友達に対してもっときっぱり「ノー」と言うべきだと信じる罠にはまってはいけません。そうではなくて、そこには自分が対処したくないことがあるだけなのです。心の奥深くに恐れがあり、家の中で安全にいられるように怠惰さを言い訳として使っているのです。
恐怖から仮面を取ること
恐怖はたくさんの衣装を持っていて、その中にはとても巧みなものもあります。しかし、私たちが自分の感情を特定しコントロールできるようになったら、その変装を解くことができます。そのために何ができるかを見てみましょう。
例えば交際がとても悪い形で終わってしまい、ほとんどトラウマのようになってしまった場合を想像してみてください。今は一人で、その孤独に対処しようとしています。友達は会いたいと言ってくれますが、彼氏や彼女を連れてきたいと言います。一緒に出掛ける時が来ると、怠惰と無気力に襲われます。この二つの敵が私たちに家にいるよう説得してくるのです。
このような状況では、あなたは友達とはあまり会いたくないんだと思うかもしれません。しかし、本当はそうではないかもしれないのです。例えば、自分には誰もおらず、失敗しか残っていないのに、あなたの友達がパートナーと幸せそうにしているの見たら傷つくと思っているのかもしれません。
苦しみを避けるための孤独
友達と一緒にいるのは本当に楽しいのに、あなたは恐怖の犠牲者になってしまうのです。それは経験して学ぶことですが、あなたはまだそこから学んでいません。恐怖があなたに伝えていることは、あなたがまた同じ過ちを犯そうとしているだけだということです。そこであなたは自分を孤独にし、その不愉快な気持ちをまた感じなくてすむようにするのです。
怠惰のふりをしている恐怖は、あなたを守るためのものです。しかしそれはあなたの成長も止めてしまいます。ではどうしたらいいのでしょう?まずは、自分の感情を理解しようとすることです。進んで助けを求めましょう。
恐怖を拭い去らなければなりません。そのままにしておくと、あなたの人生がいつも恐怖で制限されますし、単純に心の健康と幸せを得ることができなくなってしまうからです。