10日間のサイレント・リトリートのメリット
10日間のサイレント・リトリートのメリットというトピックでは、いくつも記事が書けそうです。これに関してはたくさんのことが言えます。ここではその一部をお話しします。ほとんどは精神的で個人的な経験であるため、他人と共有できるようなメリットのみをご紹介します。とても深く漠然としていて、どんな言葉で表しても完全に伝えることは出来ないものです。
2年前に私自身が初めての7日間のサイレント・リトリートを行った際、すぐにこのことを話したくなりました。しかしその当時、これがどれだけ変化を及ぼす経験か、すべての人が理解する準備ができているわけではないと気づきました。それ以来、誰かに聞かれない限り、あまり話すこともなくなりました。
最近リトリートから戻ってきた際に誰かがわたしに聞いてきたことの一つが、「10日間携帯電話もなく誰とも話さないってこと?」でした。「そう」と答えた私に対して、返ってきたのは「かなり変わってるよね。」という反応でした。
リトリートとは何か
リトリートとは、人生からのお休みです。こういう風に説明すると、少し冷たく感じるかもしれませんね。少し説明させてください。
私たちの日々の生活の中で、怒りを感じたり、いらだちを感じさせる人に対処したりする状況があるかと思います。悲しい状況に直面することもあります。まとめると、不快感を引き起こす状況に人は常にさらされているのです。一方、わたしたちは愛着の奴隷でもあり、極端なケースでは中毒に分類されるものもあります。
リトリートとは、一時的に不快感を引き起こすものから離れることです。結果的に、自分だけでいることを学びます。
始めの瞬間
私にとっての3回目のリトリートだったため、すでに経験がありました。しかし、始めの瞬間が違っていました。さらに、このリトリートは、仏教瞑想のインストラクターになるために行う最後の項目でした。そのため、結構な使命感を感じていました。
リトリートに行っていない間でも、人生は前に進み、経験を蓄積します。しかし、リトリートセンターに入ると、他の人と一緒にいるものの、自分の精神とひとりっきりであることを感じます。携帯電話はありません。外の世界とのつながりは皆無です。
日々の生活の中では、不快な思考を避けます。痛みを引き起こす思考に耐えられないのです。だから携帯電話や気を紛らわす他の活動に目を向けます。サイレント・リトリートでは、ひとりでこれらの恐怖、自分の精神、思考に直面します。
瞑想とサイレント・リトリートへの考え
瞑想
チベット式瞑想インストラクターコースの最後の段階としてサイレント・リトリートが行われたため、練習のために一日5、6回ほど瞑想しました。さらに、好きなだけ自分一人で瞑想することが許されていました。授業にも参加します。これが唯一の聴覚的な刺激です。一日に数時間だけ先生の言葉を聞きます。それ以外は沈黙です。
瞑想をすることで、精神にどれだけの思考が幾度となく沸き起こるかを意識できます。乗り越えたと思っていた思考、最近の事に関する思考などです。頭の奥底に眠っていたものもあります。足を交差して座り、深く呼吸して、思考が頭に流れ込みます。それらを非難することなく観察します。しかし、瞑想が終わると、これらの思考がよみがえってきます。
思考
制御してきたと思っていた思考が現れてきます。溶岩のように噴き出して、制御ができなくなります。日々の生活では、思考の一角が現れると、ネットに避難して思考を消してしまっていました。
サイレント・リトリートでは、氷山の一角が姿を現すだけでなく、すべてが現れます。少しずつ、その規模を意識します。かなりの大きさですよね!思考がタイタニックを沈めた氷山のように巨大なことに気づくはずです。外から見れば、そんなに影響を受けているようには思えないかもしれません。しかし、実はあなたを傷つけ、自尊心をズタボロにしているかもしれません。でもご心配なく!あなたは自分の悪魔に直面することができ始めていますよ!
サイレント・リトリートでは、不穏な思考は竜に変化していくように感じられます。
リトリートでは喜びを感じることもありますが、不安の発作、震え、発汗、涙、過呼吸などの症状が出ることもあります。
怖がらせようと思って言っているわけではありません。しかし、自分の精神と対峙した時に起こることを知っていることが重要です。これによって、どれだけ自分が自分自身から逃げていたかがわかります。だから自分に直面した時、どこから始めたらいいかわからないのです。
ある意味で、この不安を日々の生活からの離脱症候群と説明できるかもしれません。私たちは、自分の習慣に慣れて、次から次へ別の場所へ向かいます。しかしサイレント・リトリート中は、守るべきスケジュールがあります。携帯電話にも、パソコンにも触れられません。夜中に冷蔵庫からアイスを取り出そうと部屋を抜け出すこともできません。
10日間のサイレント・リトリートのメリット
面白いことに、普段の生活に戻るまではサイレント・リトリートのメリットは感じられません。サイレント・リトリートセンターにいる際は、穏やかで静かでいられます。そして普通の生活に戻ると、精神がもっと落ち着いて、話す必要もないように感じられるのです。それに、幸せを感じるために外的な刺激を必要としなくなります。自分に満足できます。
サイレント・リトリートセンターを去り家に向かうと、周りの様々な音に襲われます。車、話す人の声、叫び声…自分の周りにあるすべての無駄な騒音を意識します。
だから、多くの人々は無意識のうちにイライラし始めます。ひとりで暮らしている人はいいかもしれません。しかし、たくさんの人と暮らしていれば、1人はテレビを見ていて、もうひとりはパソコンをしていて、さらにもう一人は携帯電話をいじっているかもしれません。ほぼ全員が、人生のために何にもならないことをしているはずです。
「自分たちにすべての緊張を解放す機会を与えたら、自己治癒のための体の本来の能力が動き始める。」
-ティク・ナット・ハン-
再び他人と交流を始めると、ほとんどの会話が社交的であることに気づきます。別の言葉で言えば、沈黙を埋めているだけで、自分にとって重要ではなかったり、実りのないものであるということです。内面的な成長にかけた10日間の後には、会話から得られる過度の情報量が意識できるはずです。
自分の人生に価値を生み出してくれる、シンプルなことに感謝する方法を学びます。ショッピングモールに行くと、消費主義や物質主義が目につきます。目を見開き、子どものころから、外的なものに幸福を求めていたことに気づきます。幸福は内面から生まれるものであるのにもかかわらず、それを育てる方法を学んで来なかったのです。
洞窟、峡谷、墓地の局面
サイレント・リトリートのあとに、普通の生活に戻ることは困難です。多くの人が自分を成長させてくれるものについて話したくてたまらなくなります。しかし、バランスを得ることが重要です。友達や家族をないがしろにしてもいけませんが、瞑想も忘れてもいけません。
瞑想のトレーニングコースを行っていたリンチェン・ギャルテンは、霊的な道の3つの局面について話しています。
- 洞窟の局面
- 峡谷の局面
- 墓地の局面
始めの局面は、自分自身にネガティブに影響するものや愛着を生み出すものすべてから離れ、準備をすることです。これは、精神トレーニングの一種です。
準備ができたと思ったら、普段の生活に直面してどれだけ自分が進化したか見るために、峡谷へ降りていきましょう。
墓地の局面は、少し時代遅れに感じるかもしれません。インドでは、腐った死体は、人々が目にできるような墓地に並べられていました。その為、墓地で瞑想ができれば、その人はどんなことにも向き合う準備ができると信じられていたのです。
現在では、墓地で瞑想する必要もないですし、したところで目に見えるところに遺体もありません。洞窟の局面から、峡谷の局面に移るだけで十分です。
サイレント・リトリートを終えた人の多くが、「洞窟」のなかにいるかのようにすべてが穏やかであってほしいと願います。しかし、現実的にはかなり難しいことです。毎日、何百もの刺激に襲われ、様々な状況や挫折に直面します。
しかし、峡谷の局面の物質主義の渦に巻き込まれてしまうことも健全ではありません。すべきことは、平安を維持して自分の個人的な活動を後回しにせず、自分の環境と交流する方法を知ることです。
サイレント・リトリートの勧め
まず、2、3日の短いガイド付きサイレント・リトリートをおすすめします。私が経験したサイレント・リトリート(7日、3日、10日)は、すべて指示付きでした。7日間のサイレント・リトリートから始めましたが、これによって人生が変わりました。しかし、多くの人にとって、そのような長いサイレント・リトリートを行うことはかなりの疲労を伴います。
一方で、自分が向かうサイレント・リトリートセンターを良く知ることも重要です。体験談を見たり、行ったことがある人に会ってみたり、ウェブサイトを確認したり、先生を確認してみたりしてください。これらの情報があることで、より快適に安心感が持てます。
もう一つ重要な知っておくべきことは、すべてのリトリートが沈黙であるということです。多くの人が瞑想を行ったことがあると思いますが、それには沈黙は必要ありません。
サイレント・リトリートを行ったら、数日間不安になるかもしれないことを知っておいてください。これはとてもよく起こることです。自分の不安の対処法がわからなかったら、自分の先生に相談しましょう。助けになる教えを与えてくれるはずです。さらに重要なことは、恐れることは何もないということです。
最後に
サイレント・リトリートなんか絶対やりたくない、という人もたくさんいます。しかし、私はこの経験をおすすめします。人はたくさんのお金を気まぐれに費やして、意味のないものにたくさんの時間を投資しています。それよりも、自分の成長のために時間とお金を投資してみるのはどうでしょう?